モンキーズとジミヘンのアメリカツアー (1967)

ジミヘンとモンキーズという、なんとも異色な「ガチの本物と完璧なフェイク」の組み合わせのツアーが1967年にありました。ツアーに至るまでのそれぞれの歩みを振り返りながら、その詳細を紹介しようと思います。

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Jimi Hendrix

ジミ・ヘンドリックスは1942年アメリカのシアトル出身。1963年からキャリアをスタートさせ、ウィルソン・ピケット、スリム・ハーポ、サム・クック、アイク&ティナ・ターナー、ジャッキー・ウィルソン、アイズレー・ブラザーズなどのバックを務めた後、1966年にニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジへと移り、自身のバンドでの活動を開始させます。

元アニマルズのメンバーで、当時ベーシストからマネージメント/プロデュース業へと転身したばかりのチャス・チャンドラーがクラブで演奏していた無名のジミヘンに声をかけ、66年9月24日に渡英。新生アニマルズのオーディションに来ていたノエル・レディングと1、チャンドラーの共通の知り合いを通じて出会ったミッチ・ミッチェルを誘い、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成します2

10月1日、当時クリームを結成したばかりのエリック・クラプトン3を紹介され、その日のクリームのライブにジミヘンはゲスト出演。例の歯で弾く奏法4などをUKオーディエンスに初披露。10月13日、ジョニー・アリディ5の前座としてフランスのエヴルーにてエクスペリエンス・バンド初のライブ。その後ロンドンの新しいレーベル、トラック・レコードと契約し、10月23日に「Hey, Joe」を、11月2日に「Stone Free」を録音。11月中旬にロンドンのナイトクラブにてライブを慣行。この時オーディエンスの中にはジョン・レノン、ポール・マッカートニー6、ジェフ・ベック7、ピート・タウンゼント8、ブライアン・ジョーンズ、ミック・ジャガ―9、ケヴィン・エアーズ10などがいました。エアーズが当時のことをこう回想してます。


スターが全員集合しててね、こんなコメントが聞こえてきたよ。「シット」「ジーザス」「ちくしょう」とか。もっとひどい言葉もあったね。


同年12月にリリースした『Hey, Joe / Stone Free』がUKチャート最高6位のヒットとなると、翌1967年3月に『Purple Haze』がUKチャート最高3位、5月に『The Wind Cries Mary』が11週チャートインし最高6位と立て続けにヒットします。そして1st LP『Are You Experienced?』が5月12日に発売され、33週チャートインし最高2位と大ヒットします。ちなみにその週の1位はビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』でした。11

では、もう一方のモンキーズはどうだったでしょうか。

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The Monkeys

アメリカ人映画監督/脚本家のボブ・ラフェルソンと映画プロデューサーのバート・シュナイダーが、1964年に公開されたビートルズの映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! (A Hard Day’s Night)』にインスパイアを受けたTVコメディシリーズを1965年に企画。同年9月にオーディションを行い、デイヴィー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ミッキー・ドレンツ、ピーター・トーク、の四人がモンキーズのメンバーとして選出されます。番組のコンセプトは「ビートルズになりたかった、売れない架空のバンドの物語」(ミッキー・ドレンツ談)。

デイヴィー・ジョーンズは当時すでにミュージカル俳優としてのキャリアがあり、1963年にはトニー賞12にノミネートされるなどしています。

マイク・ネスミスは1963年からミュージシャンとして活動しており、別名でレコーディングや作品のリリースなども行っていました。大学では芝居を学んでいます。

ミッキー・ドレンツは幼少の頃から俳優として活躍しており、また自身のバンドでリードシンガーも担当していたそうです。

ピーター・トークは9歳からピアノを習い始め、その他にもバンジョーやベース、ギターなどさまざまな楽器を弾くことができました。60年代前半にはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのフォークシーンで活躍しており、ピート・シーガーとも共演しています。そこで、後にバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとなるスティーヴン・スティルスと知り合い、彼の紹介でモンキーズのオーディションを受けたのでした。13

モンキーズは「音楽的な教養のない俳優が演じた当て振りアイドルバンド」というイメージでしたが、調べてみると意外にみんな音楽の経験があったことに驚きます。しかし1966年4月にリハーサルを開始してみると、やはりバンドとしては機能しなかったそうです。そこで、オーディションで落とされていたボイス&ハートのコンビ14がソングライティングチームとして呼び戻され、モンキーズの1st LP『The Monkees』のほぼすべての楽曲制作および演奏を行いました。

1966年9月にTVシリーズ『ザ・モンキーズ・ショー(The Monkees)』の放映が開始され人気を博し、10月に発売された1st LPもUSチャート、UKチャート共に1位の大ヒットとなります。

そして1966年12月にハワイで初のライブコンサートが企画されますが、日中はTVの撮影、夜は(歌の)レコーディングと、ほぼ寝る間もなく働いている彼らにバンド練習をする時間はまったくありませんでした。したがって、1966年12月~1967年5月のライブではアルバムの演奏も担当したキャンディ・ストア・プロフェッツ(Candy Store Prophets)が、1967年夏のイギリス・アメリカツアーではサンダウナーズ(Sundowners)が「バック・バンド」として演奏をすることになりました(モンキーズのメンバーは楽器を弾いているふり。)

1967年7月、モンキーズとジミヘンのライブツアー

さて、方向性は違えどドンドンと売れっ子になっていく二組ですが、どのようにしてこのツアーが開催されるに至ったのでしょうか。

1967年6月16日~18日にモンタレー・ポップ・フェスティバルが開催され、最終日にジミヘンは出演します。ミッキー・ドレンツとピーター・トークはフェスに来ており、彼の演奏に魅了されました。特にミッキーは彼に夢中になったそうです。

当時モンキーズは夏のツアーを控えてオープニングアクトを探しており、ミッキーは「彼をゲットするしかない!」とメンバーに強力プッシュ。ピーターとマイクもこれに賛同しますが、ジミヘンがモンキーズを「まともなミュージシャン」として受け入れてくれるかどうか懐疑的でした。

一方でオファーを受けたジミヘンは、モンキーズの音楽に対してはあまり快く思ってなかったそうです。しかし、当時イギリスでのヒットに続きモンタレー・ポップ・フェスティバルでの彼の演奏が話題になっており、この勢いをなんとしてもアメリカ中に広げたかったマネージャーのチャス・チャンドラーがジミヘンを説得。ツアー参加を承諾します。

以下は、1967年7月6日(木)のとある新聞の記事を翻訳したものです。(実際の画像は下記の参照リンクから)


西海岸ツアーの成功をヘンドリックス・エクスペリエンスに

ジミ、モンキーズの巨大アメリカツアーに参加

ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスが、アメリカで大きな成功を収めようとしている。明日(金曜日)、全国ツアー中のモンキーズと合流する準備が整った。

ツアーはアメリカ中を回り、8月20日まで続く。ヘンドリクッス・グループは8月23日にイギリスに戻る予定。マネージャーのチャス・チャンドラーによると、モンタレー・ポップフェスティバルと、サンフランシスコのフィルモア・ボールルームでの驚くべき成功以来、彼らは巨大な関心とファンを着実に西海岸に作り上げていった。


ライブ中の写真などは、こちらのモンキーズのファンサイトに多く載ってます。

Monkees Live Almanac: 1967 U.S. & BRITISH TOUR

上記のサイトの情報によれば、

7月8日、9日⇒フロリダ
7月11日、12日⇒ノースカリフォルニア
7月14日、15日、16日、⇒ニューヨーク

と、7カ所でライブを行っているようです。

しかしその後、1967年7月22日に以下のようなニュースが舞い込みます。


ジミ・ヘンドリクス、モンキーズとのツアーを離脱

「俺はミッキーマウスの代わりじゃない」

土曜日、ジミ・ヘンドリックスはNMEにセンセーショナルなニュースと共に電話をしてきた。モンキーズとのアメリカツアーを7公演やっただけで辞めてしまったというのだ。ヘンドリックス・エクスペリエンスは、シングルの制作と今後の西海岸公演の為、最低でも2週間はアメリカに留まるという。

「まず初めに、彼らはショーの「デス・スポット」を俺らにくれた…モンキーズの前座だ。」ジミは説明する。「観客は『モンキーズ!』って叫んで歓声をあげてるんだよ。しばらくしてようやく演奏させてもらえれば、状況はかなりマシになる。俺らにも歓声を上げてくれるし、いいリアクションももらえる。キッズの何人かはステージに押しかけてきたしね。」

「俺らの名前がポスターに載ってないんだよ。ポスターには全部『モンキーズ!』ってデカデカと書いてあるだけだ。」

「それから子連れの親達が、俺らのアクトが野蛮だって文句言いに来たんだ。多分彼らは、俺らがミッキーマウスの代役だと勘違いしたんだろうな。」

「モンキーズと仲が悪いなんてことはなかった。別々の飛行機でやってきたなんて噂もあるけど、そんなのはナンセンスだ。ミッキーともピーターとも仲良くやってたし、一緒にバカやって楽しんでたよ。」

「ツアー中に素晴らしい女性シンガーを見つけてね。オーストラリアのリン・ランデルっていうんだけど。イギリスでレコードを出してるから、きっと聴く機会があると思うけど。」

「ニューヨークでは、みんなでイーストヴィレッジにあるエレクトリック・サーカス・クラブに行ったんだけど、ブッ飛ばされたよ。シーズ (Seeds) ってバンドが演奏してたんだけど、曲の合間に馬鹿らしいことやってるんだ。男がステージにやってきて、突っ立って5分間も犬みたいにウーウーうなって。それで『どうもありがとう』って言って去っていったんだよ!それからストレートジャケットを着た別の男がやって来て、ただフロアを30分転がるだけ。それからおかしな小さい男がロープを伝って天井から降りてきたりして。ただただ信じられなかったよ!」

「俺の新しいシングルについての記事は読んでるよ。『燃える真夜中のランプ(Burning of the Midnight Lamp)』だって。そのフレーズがレコーディングした歌詞の中に入ってるのは確かだよ。ただそれが曲のタイトルになるのか、シングルになるのかは、まだ判らないな。」

「L.A.は最高だったよ。デヴィッド・クロスビーとエレクトリック・フラッグってバンドが俺らを観にウィスキー・ア・ゴーゴーに来てくれてね。西海岸は大好きだ。素晴らしい人々もね。」

「チャス(・チャンドラー)とマイク(・ジェフリーズ)が俺らが帰ってからの秋のイギリスツアーをアレンジしてくれてる。マジにグルーヴィーな西海岸のバンドと一緒に回れたら最高だね。」ジミは語った。


というわけで、やはりうまく行きませんでした。客層があまりにも違いすぎました。モンキーズのメンバーとは楽しくやっていたようで何よりですね。

以下はモンキーズのミッキー・ドレンツの自伝からの抜粋です。


「ジミ・ヘンドリクスのようなアーティストがモンキーズの前座で出るなんて、どんな風になるかまったく想像もできないよね。」

「それは初日から明らかだった。僕らが、めったに現れないものすごい才能を目の当たりにしているって。」

「舞台袖でわくわくしながら彼らの出番を待って、それはもう感嘆の眼差しと共に聴き入ったよ。」

「ジミは本当にスウィートなヤツさ。彼と一緒にツアーが出来るなんて、ただただ嬉しかったよ。」

「子連れの親達は、モンキーズのコンサート中ずっと座ってなきゃいけないってこと対しては、別に気にならなかったろうね。サイケなデイグロのシャツを着た黒人が、地獄の音楽を演奏して、ファックしてるみたいにギターを持って、火を放ったことに比べたらね…。ジミはふらっとステージに現れて、アンプを暖めたら一気に「Purple Haze」を弾き始めるんだ。そしたら観客のキッズは『(モンキーズの)デイヴィーを出せぇぇぇ!!!』って野次って彼を引きずり下ろそうとするんだ。オーマイゴッド、まったく恥ずかしいってもんじゃなかったよ。」

「彼が去っていくのを見て、本当に申し訳ない気持ちだった。」

「僕らはいい時間も過ごしたよ。ニューヨークのサイケデリック・シーンを見て回ったりして。まるでキャンディストアの子供みたいにね。エレクトリック・サーカスでトリップして、ホテルの部屋で夜通しジャムったりもしたんだ。」


最後にモンキーズの名誉のためにもこちらの動画を…みなさんいい声で、キレイにハモれてます。さらに後のライブ映像を見てみるとメンバーそれぞれしっかり演奏できていて、特にドラムの経験のなかったミッキー・ドレンツが普通に叩けてるあたり、非常に好感を持ちました。興味のある方は調べてみてください。

参照

Wikipedia – Jimi Hendrix

stalking seattle

UCR: THAT TIME JIMI HENDRIX JOINED THE MONKEES TOUR

In 1967, Jimi Hendrix Opened for The Monkees

脚注

  1. もともとはギタリストだった。
  2. ジミヘンの本名はJames Marshall Hendrixで、Jamesの短縮形がJimmy。Jimmy Jamesと名乗っていましたが、チャンドラーのアイデアでJimmyからJimiへとスペルを変えました。
  3. クリームの初ライブは1966年7月。
  4. 1963年ジミヘンがテネシー州で活動していた頃、シアトルのバンド、ザ・シャープス(the Sharps)のギタリスト、ブッチ・スナイプス(Butch Snipes)が歯で演奏しているの見て真似しだしたもの。ジミヘン曰く「テネシーじゃ歯で弾かないと撃たれる」。
  5. エルヴィス・プレスリーのカバーで人気を博したフランスのシンガー。
  6. ビートルズが『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』を録音した直後。
  7. ヤードバーズは『Roger the Engineer』を1966年7月にリリース。
  8. ザ・フーは『A Quick One』を録音中。
  9. ローリング・ストーンズは『Between the Buttons』収録曲を録音している時期。
  10. ソフト・マシーンは翌年の1967年にチャス・チャンドラーのプロデュースで1st シングル『Love Makes Sweet Music』を録音。
  11. 『Sgt. Pepper’s…』は5月26日発売。ほぼ一週間後の6月4日にロンドンで行われたライブで、ジミヘンはオープニングに「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」をプレイし、ポール・マッカートニーとジョージ・ハリスンもその場に居合わせました。ポールは後に「自分のキャリアで最も光栄な瞬間の一つだった」と語っています。
  12. 1947年から続いている由緒ある演劇・ミュージカルの賞。
  13. スティルスは「髪の毛と歯の写真写りが悪い」ため落選。
  14. トミー・ボイスとボビー・ハート。二人とも元はシンガー希望でした。ボビー・ハートはファッツ・ドミノに「Be My Guest」を提供し、チャート8位のヒットに。コンビの作品としては、チャビー・チェッカーに提供した「Lazy Elsie Molly」(1964)がヒットしています。
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