メイヨ・トンプソン『Corky’s Debt to His Father』再現ライブ (2013)

レッド・クレイオラ(クレイヨラと表記されることもあり)は、1966年、テキサス州ヒューストンのアート学生によって結成されました。バンドの中心人物は、ギター&ボーカル担当でヴィジュアルアーティストでもあるメイヨ・トンプソン。バンドはサイケ/エクスペリメンタルからフォーキーなサウンドまで幅広く、後のパンク、インディーロック、ノー・ウェイヴなどのカルチャーに強く影響を与えました。ちなみにバンド名は「赤いクレヨン」という意味です。

1967年の1st『The Parable of Arable Land』は13thフロアエレベーターズと同じレーベルから発表されました。ちなみにこの作品に対するピッチフォークの評価は9.3点の高得点で、レビュアーは「時代を最も先取りした作品の一つ」と大絶賛する一方、その直後に「これは楽器の弾き方を知らないバンドである。実際には彼らは何の楽器を弾いているかもわかっていないか、もしくは、ギタリストが『音符』らしきものを弾く間、意識を保っていられるかもわかっていないだろう。」「バークレーで10ドルやるから演奏を止めろと言われるバンドだ。」と謎の酷評をかまされています。実際どんなかは自分の耳で確かめてみましょう。何度も何度も聴いてみると良いと思います。

同年『Coconut Hotel』という作品を録音しますが、1stとはまったく異なるサウンドで「売れる見込み無し」とレーベルより却下されます(後年1995年にようやくリリース)。さらにギタリストのジョン・フェイヒーとスタジオセッションをしますが、レーベルにマスターテープを取り上げられ現在まで日の目を見ていません。(フェイヒーと共演したライブ音源は『Live 1967』に収録)。翌1968年、ようやく2ndの『God Bless the Red Krayola and All Who Sail With It』をリリースしますが、1stほどの評価は得られず、バンドは解散します。

そして1970年、メイヨ・トンプソンのソロとしてテキサスのインディレーベルから発表されたのが『Corky’s Debt to His Father』です。

名作として名高い本作。以下は2013年11月4日、Red Bull Music Academy Dailyに掲載されたブライアン・ビアーマン氏による、本作にまつわるエッセイです。原文はこちらから。

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コーキーへの借り~メイヨ・トンプソン『Corky’s Debt to His Father』を愛して

1枚のアルバムを長年にわたって愛するとは、そしてその作者と会話を交えるとは、いったいどういうことなのか。ブライアン・ビアーマンが記す。

時にもしあなたがラッキーならば、1枚のアルバムと恋に落ちてしまうことがある。一目惚れではないかもしれない。時には何か月もかかるだろう。いや何年かもしれない。でもふと夢中になっている自分に気付くのだ。歌詞は覚えてない。だが頭に染みついている。

メイヨ・トンプソンの『Corky’s Debt to His Father(父に対するコーキーの負債)』が私にとってのそれである。

トンプソンに電話をする機会を得た時、彼は私にこう聞いた。「僕の発言が君の持っていたイメージと違っていて、失望したかい?」私は少し時間を掛けてその質問の答えをじっくり考えてみた。

『Corky’s Debt to His Father』はメイヨ・トンプソン唯一のソロアルバムである。彼が在籍する革新的グループ、レッド・クレイオラが一次的な活動休止状態の時に録音され、小さなインディレーベルから1970年にリリースされてからは、何年も廃盤となっていた。しかし渡るべき人の手には渡っていた。フィリップ・グラス1はアルバムのファンだし、ペル・ウブ2もそうだ。80年代初頭トンプソンは少しの間彼らと共に活動していて、『Corky’s Debt~』の曲を再録音もした。

それから10年後、ロンドンを拠点とするGlass Recordsからようやく再リリースされ、1994年にDrag Cityからリイシューされた際には多くのリスナーの心を掴むことになる。(ここでアルバムの評価は証明されたが、2008年にも更に再販される。)

『Corky’s Debt~』は音楽的に独自の宇宙を築き上げており、奇妙なフォークミュージックとプロト・パンクが両隣に並んでいる。典型的なAメロ、サビ、Aメロ構造を持ちながら、それらはセクシャルな歌詞で一変する。この作品は、トンプソンがそれ以前の数年間でスティーヴ・カニンガムとフレデリック・バーセルミと共にレッド・クレイオラとして作りあげてきたものとは大きく異なっていた。前衛、クラシック、フリージャズの影響下でロックを鳴らした三人のサウンドは、60年代の誰の音楽とも違っていた。

音楽リスナーの視野が今まで以上に広がり始めた時代に結成されたにもかかわらず、レッド・クレイオラは売れなかった。1967年、バークリー・フォークフェスティバルでのライブの後、とある女性が、彼らのフィードバックだらけの意味不明な演奏のせいで犬が死んだと苦情を言ってきたという。近年彼らの作品は「時代の先を行っていた」と頻繁に評されるが、トンプソンは否定する。「(当時)みんな僕らの音楽をよく理解してくれていたよ。ただ誰も好きじゃなかったみたいだけどね!」

1969年、レッド・クレイオラはそれ以上の活動をしていないようだった。「なんとも言いようがないって感じかな。」トンプソンは語る。「とくに進めていたこともなかったから、いったん逸れて別のことをやっただけなんだよ。」『Corky’s Debt~』を録音した後の「別のこと」とは、70年代初期にはニューヨークでロバート・ラウシェンバーグ3と制作を行い、70年代後期にはラフ・トレード4で制作とプロデュース。80年後期にアルバート・オーレン5と共にドイツに住み、90年、00年代にはカリフォルニアのアート学校で政治と音楽を教えた。その途中で彼はレッド・クレイオラを再結成させ、10年前の焼き直し以上の、素晴らしく、さらに本能的な音楽を作り始めた。

トンプソンと初めて電話越しに話した時、彼は強いテキサス訛りで、そして驚くほど親切で優しかった。どういうわけか、私は知らないうちに彼を「ミスター・トンプソン」と呼んでいた。今までインタビューをしてきたどんな人物に対しても、一度もそのように呼んだことはなかった。これほど心酔している人物とは話したことがなかったというのもあるが。それに彼は教師である。それが理由だろう。

ミスター・トンプソンとようやく話す機会ができた。というのも、彼がクロップドアウト・フェスティバル2013で『Corky’s Debt~』を全曲演奏するという、初めての試みを行うからだ。まだ何が起こるか、彼も定かではなかった。「もう声が出ないんだよ、デュード。あの頃の僕はもういないんだ。でも気持ちはまだあるさ。一抹のアイロニーと、一抹の後悔と、一抹の罪か恥の意識もあるかもしれないね。息が詰まるかもしれないし、泣いちゃうかもしれない。さてどうなるかな?」

『Corky’s Debt~』の録音時に関して尋ねると、それは時代への返答であると彼は説明した。「オルタモント(の悲劇)6が、フラワームーブメントとその思い上がりのすべてを打ち砕いたんだ。70年代を目前にして、皆が決断を下さなければならなかった。火に興味はあるか?ホイールは?缶切りについてはどう思う?全ての物事をもう一度見つめ直す必要があった。そしてそのレコードは僕にとって、今までに作ったものと同様、どんな可能性があるかっていう記録なんだ。」

アルバムの歌詞を見てみると、そこにはたくさんの悲しみと、孤独との闘いが記されている。レコーディング当時の彼の私生活について引き出そうと試みてみた。しかしトンプソンは会話中、ほとんどアルバムの哲学的・社会的な側面について語っていた、一旦中断して、私にその質問を尋ねるまで。「僕の発言が君の持っていたイメージと違っていて、失望したかい?」ほんの少しの間をおいて、私はこう返した。「いいえ、失望ではありません。(歌詞が)パーソナルなことであるとあなたがおっしゃったのが、興味深いと思ったんです。私のイメージとは違っていましたが。『君は彼女にフラれた』とか、そういうのだと思っていましたから。」私は自分の言ってることがあまりにもくだらな過ぎて、思わず笑ってしまった。

「全部実際に起こったことなんだ。」彼は私に言った。「ベティ7も知り合いさ。ヴィーナス8ってのは、誰のことかみんな知ってるよね。愛の女神さ。…僕の人生に起こったストーリーを話してもいいけど、それで何かが説明されるとは思わないんだよね。ただ、悲しい出来事がたくさんあるってだけで。」

そこで彼が正しいことに私は気がついた。何かを愛することは、必ずしも説明を必要としないからだ。「I’m so worried / Yes, I am worried / I’m so worried, I told you I was worried(心配だ、とても心配だ、心配なんだ、心配してるって言っただろ)」9という歌詞に、誰かの名前やそれに付随するストーリーが必要だろうか?それが自分にとって既に意味を成すのであれば、それ以上に何を聞き出す必要があるというのか?

クロップアウト・フェスティバルは、ちょうどオハイオ川の辺り、ルイビルのアメリカン・ターナーズ・クラブで行われた。ステージに上がる45分前、彼のバンドがセットアップをする横で、川をじっと見つめるトンプソンを見かけた。レイモンド・チャンドラー10の小説に出てくるような、黒いロングコートに、アイロンがかったシャツ、おしゃれな靴にサングラス、といったいで立ちであった。

日が沈む前にバンドはステージに立った。ギタリストのトム・ワトソン11、ドラマーのジョン・マッケンタイア12、ベーシストのビル・ボウマン13が、トンプソンとオリジナル・ピアニストのジョー・ドゥガン14に加わった。ドゥガンは、アルバムの中の私のフェイバリット曲「Dear Betty Baby」の素晴らしいホーンパートを書いた人物でもある。トンプソンの目の前には譜面台が置かれ、iPadには歌詞が映し出されている。(その後iPadの充電が切れてしまい、観客の一人がトンプソンの歌詞の入ったノートパソコンをライブ中ずっと広げて持っていた。)ライブ開始前、観客の誰かが言っていた。「こんなライブが見れるなんて、ちょっと夢みたいだな。」

「I’m a student of human nature…」15トンプソンが歌い、アルバムが始まった。曲はエネルギーに溢れている。このバンドは世界一のバーのお抱えバンドみたいだ。(後日トンプソンと話した際、これが彼のライブに対する評価の一つであった。)オーディエンスは心から喜んでおり、トンプソンは最高に楽しんでいる。「Dear Betty Baby」の最中、私は涙をじっと堪えていた。セットの途中、チューニングをしながらトンプソンが独り言を呟いているのを聞いた。「なんてこった、変な感じだな。」

川船がバンドの後ろを横切る頃、バンドは「Black Legs」を演奏中で、アコースティックなソロは、フル・エレクトリック・ブルース・グルーヴへと変貌していた。最後の曲「Worried, Worried」の最中、彼は我々の目の前に現れた気の狂った説教師に姿を変えたように見えた。この男、69歳とは思えない。ステージでダックウォークでもしそうな勢いだ。

セットが終わり、彼は祝福の中メンバー達と抱き合った。アルバムを持ったファンの波が、サイン欲しさにトンプソンへと押し寄せる。私は、さっきの「夢みたいなライブ」を体験した男を見つけた。彼の名前はクリス・ベリー。ミネアポリスからわざわざライブのために車を飛ばして駆け付けたそうだ。「確か『Corky’s Debt~』は僕が学生時代に知ったんだと思う。80年代にグラス・レコーズから出た古い盤もまだ持ってるよ。このレコードには特別な何かがあるんだ。誰も手が届かない、広大なアメリカの輝きがここにはあるんだ。」ライブの感想を聞いてみると、彼は私たちの気持ちを代弁してくれた。「未だに信じられないよ。でもパーフェクトだった。」

ライブの後、トンプソンはもみくちゃになりながらも、喜んで私を楽屋へと招待してくれた。次から次へとやってくるファンの対応をしながら。ようやくエレベーターに乗ると、彼は私に向かって「これが僕の知ってるショービジネスの一つだよ。」扉が閉まっていく。「どこかしらで終わるんだけどね。」

楽屋では、トンプソンとジョー・ドゥガンが、アルバムのレコーディング時のことを懐かしんでいた。まるで戦友のように。ドゥガンは最高に面白い人で、ジョークで笑いを誘い、若かりし頃の音楽ビジネス、ヒット曲のレコーディング時のことなどを語ってくれた。それから今回リハーサルを行うまで、二人は40年近くも会うことがなかった。

トンプソンはライブの感想を一言に要約した。「ホッとしたよ。」それはドゥガンも同じで、こんな風に説明してくれた。「僕らはとんでもなく心配してたんだよ。40年経ってこれをもう一回やろうってのは、並大抵の事じゃないから。」アメリカ中からこのライブのためにやってきた人たちのことを彼らに伝えた。トンプソンは少し驚いたようだった。「世の中には、レッド・クレイオラとか、僕みたいな変わったやつが好きな人がいるんだな。よくわからないけど。」

それからドゥガンとトンプソンは、その日の朝に会ったウェイターのことを語ってくれた。彼らの音楽話を耳にした彼は、二人が何者かを尋ねた後、驚いた声で叫んだという。「あのレコードの!?俺のフェイバリットレコードだよ!えぇっと、去年ぐらいから!」

僕らは他のバンドを観る為に別々になった。ボニー・プリンス・ビリーとマット・スウィーニーのスーパーウルフのセット中、トンプソンがiPhoneで彼らのライブを録画しているのを見かけた。彼は僕をチラリと観て、ウィンクをした。そして現れた時のように、さっそうと去っていった。


当日の様子の一部は、原文が掲載されているレッドブルのサイトから確認できます。再結成ものによくあるコレジャナイ感もなく、かなり再現度の高いライブになっているのはジョン・マッケンタイアの力量なのではと勝手に想像しています。

余談ですが、リチャード・ヘルの歌唱法はメイヨ・トンプソンに強くに影響を受けているのではないかと私は思ってます。特にこのフランク・シナトラのカバーを聴いたときはすぐに『Corky’s Debt~』を連想しました。ソースはないです個人の意見です。

参照

Wikipedia – Red Krayola

Wikipedia – Corky’s Debt to His Father

Pitchfork

Trouser Press

脚注

  1. ミニマル・ミュージックで知られる現代音楽の重鎮。
  2. Pere Ubu。1975年結成のアヴァンギャルド・ロックバンド。
  3. ネオ・ダダを代表するアメリカ人アーティスト。
  4. イギリスのインディ・レーベル。所属していた有名どころはスミス、ギャラクシー500、ポップ・グループなど。
  5. ドイツ出身の抽象画家。
  6. 1969年12月6日、カリフォルニア州にあるオルタモント・スピードウェイで開催されたローリング・ストーンズのコンサートで、会場の警備として雇われていたバイク集団ヘルズ・エンジェルスと観客が乱闘をはじめ、18歳の黒人青年、メレディス・ハンターがエンジェルスの一人に刺されて死亡した事件。
  7. 4曲目「Dear Betty Baby」
  8. 5曲目「Venus In The Morning」
  9. 11曲目「Worried, Worried」
  10. アメリカ人小説家。ハードボイルド探偵小説を生んだ作家の一人として知られている。代表作は『大いなる眠り』(1939)など。
  11. マイク・ワット率いるミッシングメン、スロヴンリー(Slovenly)、ペア・オブ・ピラーズ(The Pair Of Pliers)などのメンバー。再結成後のレッド・クレイオラにも参加している。
  12. トータス(Tortoise)、ザ・シー・アンド・ケイク (The Sea and Cake)のメンバー。ドラムだけでなく様々な楽器を弾くマルチプレイヤーであり、レコーディング・エンジニア、プロデューサーでもある。
  13. ファーマーズ(Farmers)というバンドのメンバーであると思われる。
  14. テキサス周辺の音楽シーンで活躍している模様。
  15. 1曲目「The Lesson」
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