キャプテン・ビーフハート インタビュー (1991)

キャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートは1941年カリフォルニア州グレンデールに生まれ。3歳から絵画/彫刻を始め、特に動物(恐竜、魚、アフリカの哺乳類、キツネザル)に夢中だったそうです。動物園や展望台を有した大きな公園が近所にあり、幼少期のビーフハートに多大な影響を与えました。9歳の時にロサンゼルス動物園で開かれた子供向けの彫刻のコンペで優勝するなど、当時から芸術のセンスは抜群で「天才」と言われていました。11歳の頃にはロスの芸術学校でレクチャーをしたり、毎週テレビ番組でその腕前を披露したりしていたそう(本人談)。ビーフハートによると、彼の両親は芸術家に対してあまり快く思っていなかったそうで、そのためヨーロッパで彫刻の勉強をするスカラシップなども断っていたとのことです。

一方で音楽への興味も広げていき、サン・ハウスやロバート・ジョンソンなどのデスタ・ブルース、オーネット・コールマン、ジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、セシル・テイラーなどのジャズ、そして後の彼の歌唱法に大きな影響を与えるハウリン・ウルフやマディ・ウォーターズなどのシカゴ・ブルース「ばかり」聴いていたそうです。その後カリフォルニア州ランカスターの中学校でフランク・ザッパと出会い、本格的に音楽活動を開始。ちなみにビーフハートとザッパは1963年にザ・スーツ(the Soots)というバンドを組んでレコーディングをしましたが、ドットレコーズから「No commercial potential(売れる見込み無し)」と拒否されたそうです。

ビーフハートは1965年にマジック・バンドに加入し、1966年にキャプテン・ビーフハート&ヒズ・マジック・バンド名義でボ・ディドリーのカバー「Diddy Wah Diddy」でデビュー。以降数々の名作(最初は迷作⇒名作に聞こえてくる不思議)を発表します。

ちなみにビーフハートといえばどうしても『Trout Mask Replica』(1969)のカオティックなイメージが強いですが、『Bluejeans & Moonbeams』(1974)などは同じミュージシャンとは思えないくらい、美しい曲が詰まった作品です(ケイト・ブッシュもFavoriteとして挙げてますね)。

80年代前半、ドイツのとあるギャラリーが「画家として成功をしたいのであれば音楽を止めるべきだ。でなければ『絵を描くミュージシャン』どまりだろう」と彼に忠告したそうです。そして1982年の『Ice Cream for Crow』を最後に音楽活動をリタイア。「見事に画家へと転身」します。(リタイア直前、1983年に制作された『グリズリー2:ザ・プレデター』という、熊が暴れまわるB級ホラー映画にバンドごと出演するオファーがあったそうですが「ダサい」と断ったそうです。残念。)自己流ながらも生まれ持った芸術センスで画家としても高く評価され、中には$25,000もの値がついた作品もありました。

1990年代初頭には病気で車いす生活を余儀なくされていたそうですが、個展を開いたり画集を出版するなど精力的に芸術活動に勤しんでいました。2010年に亡くなる前年にも個展を開いています。

以下は、アンディ・ウォーホルが1969年に創刊した『Interview』誌が1991年10月に掲載した、画家・ドン・ヴァン・ヴリートのインタビュー訳です。

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しゃがれた、タフな音楽で、唯一無二のロックスターやポップスター達に道を示したキャプテン・ビーフハートは、現在、今にも何か聴こえてきそうな素晴らしい絵を描いている。

 ドン・ヴァン・ヴリートは、この特殊な時代において二つのフィールドに存在している真に稀な存在である。キャプテン・ビーフハートとしてヴァン・ヴリートは、1960年代中頃から80年代初頭における最もタフな音楽と詞のいくつかを書き、歌い、演奏した(サックス、ハーモニカ、ピアノ、ギター)。マジック・バンドと共に、革新的且つ風変わりな、フリーフォームなロックアルバムの数々を世に送り出してきた。『Safe As Milk』 (1967)、『Trout Mask Replica』 (1969)、『Lick My Decals Off, Baby』 (1970)、『Clear Spot』 (1973)、『Doc at the Radar Station』 (1980)、そして 『Ice Cream for Crow』 (1982)。これらは今やクラシックである。

 音楽キャリアと並行して(特に80年代初頭に音楽業界をリタイアしてから)彼は過去のパフォーマンスと同等のエネルギーを持って、アート、絵画、彫刻制作に勤しんでいる。今月、ニューヨークのマイケルワーナーギャラリーでは、ヴァン・ヴリートの近年の絵画作品の展示が行われる。

 ミシシッピ・デルタ・ブルース、ポスト・ビバップ・ジャズ、更にはナンセンスなダダイズムからさえも影響を受けて、ヴァン・ヴリートの自由な「ビーフハート・リリック」と無調の音楽は多くの同世代のミュージシャン達に強い影響を与えた。しかしヴァン・ヴリートがおごった態度を見せることはない。アルバム発表当時、なぜあんなにも刺激的であったかを尋ねられた時にも彼は「当時は誰もが生真面目に捉えすぎていて、俺がただ揶揄ってただけだっていうのを、全然理解してなかったのさ。」と語っている。

 ヴィジュアル・アーティストとしてもヴァン・ヴリートは、気取ることなく、明確なビジョンを持っている。キャンバスの上に引っかき傷、曲がりくねった線、象形文字や抽象的な絵文字のようなもの、それらの列を絵の厚い下地の中に、はっきりとした形で浮かび上がるまで、表情豊かに描く。カラス、天使、亀、人間、ノスリ…虚実入り乱れた生物で溢れ返る、絶えず変わり続ける世界。人間も一つの命でしかない場所。かつて音楽で表現されていた、彼の中にあるあの不協和音の風景に住む感情を持つ生物を、現在は絵画で表現している。

 現在50歳のヴァン・ヴリートは、妻のジャンと共にオレゴン州の境界線近く、150人が住む小さな沿岸の街、カリフォルニアのトリニダードに住む。彼と話したとき、彼は自身のスタジオでニューヨークで行われる展示会の準備を行っていた。ゴブリンとグリズリーベアーが混ざったようなしゃがり声の持ち主、流行も俗習も破壊する男、ヴァン・ヴリートは、やりとりの中で言葉の亀裂と自由な発想をまき散らしてくれた。それは彼の歌同様、記憶に残るものであった。

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―最近殆どの時間を絵画制作と映画観賞に費やしていると聞きましたが。近所のビデオレンタルショップに行ってビデオを借りるんですか?

いいや。デッドヘッズ(グレイトフル・デッドおたく)に会うのが怖いんだよ。そこらじゅうに沢山いるからな。(ジェリー・)ガルシアの野郎、何してるんだよ。ギャビー・ヘイズみたいな顔しやがって。

―誰かが会いに来たりしないんですか?ドイツ人アーティストのA.R.ペンクが尋ねてきたって誰かが言ってましたけど。

あぁ。彼は最高だな。彼はいいドラムを叩くんだよ、知ってたかい。東ベルリンに住んでいた頃に初めて俺の音楽を聴いたらしい。当時彼はジャズバンドを組んでいたそうだが、俺のレコードに大金注込まなきゃならなくなったんだとさ。それが俺たちが会った理由だ。音楽と絵画。彼は俺の音楽を知っていたし、俺の絵も見たがっていた。アルバムカバーにもなった絵を俺は持っていてね。

彼は家までやって来て一晩中踊ってたよ。「俺を喜ばせるために君がやらなきゃいけないことは、パナマハットを被ることだ」って言ったんだ。ブライアン・ドンレヴィが『デンジャラス・アサインメント』(50年代に放映されたドラマ)で被ってたみたいに。ナイフが音を立てて壁に入っていくシーンを見たことあるかい?ドンレヴィはそこで屈むんだが、そこで彼はその帽子と肩章を身に着けてるんだ。素晴らしい着こなしだった。

―他にどんな映画を観ましたか?

(ルイス・)ブニュエルの『皆殺しの天使』だな。150回は観たね。観るたびに良くなっていく。思うにブニュエルは映画史において最も造詣の深い映画監督だ。最初のシーン、階段を昇っていく部分なんて素晴らしいよ。女が足の爪を切っている時、椅子に座っていてね。本当に胸糞悪い。股を広げているのが見えるんだ。それで彼女は爪を一つ一つ切っていく。ブニュエルはそういう脱がせ方をするんだ。すごい想像力だと思わないか?

―まったくですね。

人類の宝だよ。ところで、戦争があったって話だが。「Desert Swirl (砂漠の嵐)」とかいう名前の。信じているか?(湾岸戦争のこと。実際の作戦名はDesert Storm。)

―はい、信じています、実際に起きましたからね。友人の写真家がいまして、彼はベトナム戦争を経験しているんですが、砂漠の嵐のパレードがあった際に、ワシントンに行ったんです。彼はベトナム戦争戦没者慰霊碑の前に24時間留まって、写真を撮り続けていたそうです。私は彼に聞きました。何か起こったかいって。そうしたら彼は「あぁ。『クウェートから、おかえりなさい兵士達』って旗を慰霊碑に掲げた奴らがいたから、仲間と一緒に引き裂いてやった。僕たちに対して怒っている軍人には、パレードをやるのは勝手だけど、慰霊碑は僕たちのものだ、って言ったんだ。」と話してました。

彼にとってはよかったじゃないか。問題は老いぼれが多すぎることだ。お、ちょっと待ってくれ。今ちょうど俺の絵のタイトルが思い浮かんだ。「too many chrome old boys (多すぎるクロム老人)」。

―いいですね。いつもタイトルが先でそれから描き始めるんですか?

そうだな。今回は少しおかしいが。チップな奴と話すのはヒップだな。

―チップ?

あぁ。チップインしてるだろう(笑)(※ビーフハートを褒めている、の意)。さて、このまぬけ老人の何を書きたいんだ?

―まぬけ老人?

俺はもう50歳だぞ。

―知っています。ペンクが言っていました。「50過ぎると良くなる」って。

彼が俺になんて言ったか知ってるか?「ウィスキー飲むと指が痛い」って。なかなかヒップだろ。「一本の指か、複数の指か」って聞いたら、「一本だ」って。(※下ネタです)

―絵は沢山描かれてるんですか?

四日間通しでずっと描いているよ。ここ二日間で2作品完成させた。いいのが出来た。俺が好きな感じのが出来た。普通じゃない感じのな。

―四日間通してですか?寝てないんですか?

寝てない。俺は寝なくても大丈夫なんだよ。煙を吸って生きてるからな。あるいはそれで死ぬか。でも生きている間はそれはそれで楽しいもんだ。

―いつもそういう風に、何日も通しで制作されるんですか?

あぁ、そうだ。

―それって音楽みたいな感じですよね、ジャムセッションみたいに。どんどんやり続けるような?

それとは違う。でも、多くの人は俺の絵が「聴こえない」らしいが。

―聴こえない?

そうだ。聴こえるようになるべきなんだが。やかましいのは間違いないからな。

―その部分関しては、やはりあなたはやかましくなければいけないんですね。

違うかい?

―あなたは以前、この星に住むエイリアンのような気分だとおっしゃっていました。

あぁ。

―そして今は狂乱の渦から逃れて、この家で海を見下ろしながら生活されているんですね。

あぁ。家の窓から外を眺めると、青い悪魔が振り返って俺を見るんだ。この家は海から40メートルだから、俺をやれる距離ではあるな。俺は塩を食べないんだよ。浸透させて吸収するんだ。この土地を買ったことは人生で唯一正しかったことだな。

―世界から自分自身を隔離しているような気になったことはありませんか?

ない。むしろ中にどっぷり浸かってるね。

―絵画は、あなたの世界に対する見方、聞き方、感じ方を更に知ろうとする方法であるようにも見られます。もうどのくらいこの世界をそのように探求されてるんですか?

若い頃から絵を描き始めた。ハーモニカを初めて吹いたのは3歳の時だ。ブーン、ブーン、ブーン(※恐らくハーモニカを吹く真似をしている)。それから4歳で音をベンド出来るようになった。ところで、祖父がハーモニカを演奏してたんだ。彼はうまかったよ。名前はアモス・ヴァ―テナー・ワーフィールド。彼は豪遊する為にイギリス人と結婚した、玉の輿の女のまたいとこだった。俺は絵を描き始めたのと同時期に彫刻も始めた。止まらなかったね。取り憑かれていたよ。

―絵画とはあなたにとってなんですか?

ちょっと待て。君の読み聞かせたいものがある。「対になる言葉と言葉、その間に存在する空白を埋める」。これが俺の思考の本質であると考える。何日か前の夜に書いたんだ。突然頭に降って来てね。すぐさま書き留めた。そう、これが俺にとっての絵画さ。

―ステージで演奏中に絵を描いていたことがあると聞きましたが。

なぜダメなんだ?客のことなんか知らないね。やつらは俺の何が見たかったんだ?観客に俺の邪魔はさせなかった。メンバーの一人が長いソロを弾くから、じゃあその間俺はなにをすればいいんだ?突っ立ってればいいのか?だから画材を広げて絵を描いてたんだよ。俺は時間を無駄にはしないんだ。

―あなたの作品の収集家についてはどうです?彼らの事をご存知ですか?邪魔な存在になったりしますか?

ディーラーのマイケル・ワーナーとは友人だが、他の奴らのことは見たくもないね。L.A.にいた時、アーティストのエド・ルシェは何点か作品を買っていったよ。彼はいい奴だった。絵を描き終えたらそれまでだ。また次ブラシを握るまではね。

―ニューヨークの展示にはいらっしゃらないんですね。

行かないね。あの場所には耐えられない。連中は埃は皮膚だと考えてるからな。一日に50回は風呂に入らなきゃならない。頼むよ。どうやったらそんな状況に耐えられるんだ?それに飛行機も嫌いだ。レーガンが航空管制官組合員を排除してから。飛行機の中じゃ絵を描けない上に、ホテルでも描けないしな。

―もしニューヨークに来るなら、何をしますか?

MOMAに行って、(ピエト・)モンドリアンの『ブロードウェイ・ブギウギ』を見るね。クラクションが鳴るのを聴けるのはいいことじゃないか。あとはフランツ・クラインとゴッホの作品を見るかな。ヘイ、ところで君は詩人だっていうじゃないか。

―その通りです。でも、あなたも詩人ですよね?

あぁ、俺はカプリコーン(山羊座)だ。帽子の中にコーンがあるんだが多すぎてな。

―そして、フィリップ・ラーキンがあなたのフェイバリットですよね?

あぁもちろんだ。ラーキンはイギリスのハルで図書館司書として働いていたのは知っているか?それに彼はジャズも好きだった。

―彼の音楽レビューを読まれたことはありますか?彼はデューク・エリントンとカウント・ベイシーが好きで、でもチャーリー・パーカーは嫌いだったそうです。ビバップはナンセンスだと思っていたそうで。

そうか。なるほど。彼ができることは、部屋の中でいい感じに聞こえる音楽を探すことだったんだろう。でも逆にミュージシャンがフィリップ・ラーキンのことを話しているのを聴いた事があるかい?酷い言葉遣いをしたりしてな?ラーキンは沢山読んだ。おかしなもんだ、リタイアしてから見つけるんだからな。演奏していた時は、特に何かに夢中になったりしたことはなかった。本を読むこともなかったし、映画も観なかった。ローランド・カークが作ったアルバム、『Volunteered Slavery』を覚えてるかい?俺はスレイヴ(奴隷)だった。だから辞めたんだ。辞めなきゃならなかった。俺はホーンにうぬぼれていて、自分の頭を吹っ飛ばせるんじゃないかって思うとこまで来てたんだ。だから第二の人生を歩み始めたんだよ。


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