マーク・リボー 「著作権と偽善とスティーヴ・アルビニ」 (2015)

2015年、シカゴのエレクトリカルオーディオ代表、スティーヴ・アルビニと、ギタリストのマーク・リボーが著作権について互いの意見をぶつけ合いました。当時の発言内容を翻訳して紹介しています。

前回は、リボーのインタビュー記事に対してアルビニがさらにコメントしました。

The one and only Steve Albini will speak to us Sunday at #DesertDaze...

それから程なくして、リボーが『Copyright, Hypocrisy And Steve Albini(著作権と偽善とスティーヴ・アルビニ)』というタイトルの長文エッセイをFacebookページで公開しました。以下はその和訳。原文は現在はViceなどで読めます。

(読みやすさのためアルビニの発言は青色にしています。)

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著作権と偽善とスティーヴ・アルビニ

スティーヴ・アルビニのプロダクションバリュー1とギタープレイが好きだ。シカゴにいる友人曰く、彼はスタジオコストを低く設定しており、地元のミュージシャンに対して寛大とのことだ。

アルビニは、「インディ・レーベル・ムーヴメント」における獰猛なパルチザンの1人だ。私は彼のDIY理想主義を支持する。クリエイティヴな人々の音楽制作を大きく手助けしてきた。

しかし、独立への健気な思いが全知全能のイデオロギー的幻想へと変容する時。(プライベート/個人的なものではなく)パブリック/集合的な解決を求める問題が認知すらされない時。DIYはミュージシャンに力を与えるツールであることをやめ、社畜の道具に成り下がる。

我々(レコーディングアーティスト)には問題がある。この業界の60%以上が壊滅的な状態にあり、合法ダウンロードとCDセールスがストリーミングサービスへと取って代わることで、状況はさらに酷くなる見込みだ。

我々の権利は強力な企業連合の攻撃にさらされている。

もし共に行動を起こさなければ、もう間もなく、我々の権利は失われ、程なくして生活も失うことになるだろう。

ここでスティーヴ・アルビニは著作権に反対する声明を出した。著作権はまさに作品に対する収入を得るための基本であり、さらに言えばこれによって作品を「我々のもの」と言えるのだ。

「…著者がその著作権を所有して、それを使いたい人、見たい人はその人物にお金を払わなきゃいけないというモデルは、もう古いし期限切れだ。」

「一度表現されたアイデアは共有知性の一部になる。一度表現された音楽は共有環境の一部になる…。」

私はこれは間違いであると感じた。もしアーティストが著作権を嫌うのであれば、放棄することもできる。クリエイティブ・コモンズは使いやすいフォームを提供している。愛するか、放っておくかだぜ、デュード。

そして私はオンラインでこう質問した。「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスにサインをして、ご自身の全作品をパブリックドメインにしませんか?それとも、あなたもまた…偽善者なのか…?」と。

アルビニの返答はこうだ。

「すべてをパブリックドメインにしてはどうか、というあなたの提案は、もちろん自分が味わいたいブツじゃない。」

さて、これで答えが分かった。スティーヴ・アルビニは「著作権は期限切れ」だと思っている。〈彼の〉著作権のみならずだ。

「もちろん」と言っている部分が1番好きなパートだ。

紐解いてみる価値がある。『もちろん私は絶対に著作権を諦めない。どんな現役レコーディングアーティストだって、よほど狂ってなければそんなことしない…なぜなら著作権で我々は収入を得るからだ。メジャーレーベル、ハリウッドスタジオ、マディソンアベニューの広告エージェンシーが、対価を払わずに私たちを利用して金を稼いだり、気に入らない方法で我々の作品を利用したりするのを、著作権によって防ぐのだ。もちろんね。』

私の投稿に対するアルビニの返信は続く。

「そもそも、オリジナルの作品を制作する者に対する限られた著作権には不満ない…」

事実、存在するのは「オリジナルの作品を制作する者に対する限られた著作権」のみだ。結局のところ、アルビニは著作権を支持しているわけだ。

これで問題は解決しているはずだった。しかし、アルビニはこう続ける。

「インターネットで誰かが自分の作品を見つけたために、自分に(誰かに)その対価が支払われるべきだという主張は、馬鹿げていると思う。ネット上には…様々なものが限りなく存在する。これらすべてに補償が必要なのか?もしそうでないのなら、なぜ音楽だけが特別なのか?」

事実、ミュージシャンたちはなにも「特別」な地位を求めているわけではない。我々は他人と同様の権利を要求している。自分が作ったものを、売り払うか譲渡するまで所有する権利。フェアじゃない取引に対してNOという権利だ。

オンラインかオフラインで、誰が作品を「発掘」するか、は問題ではない。その「発掘」が行われるビジネスの現場で、クリエイターとの合意なしに作品を彼らの敷地に配置することを許可するか…否かだ。

もしフリーマーケットでアイテムを『発掘』したのなら、素晴らしいことだ。もしそのアイテムが盗まれたものであれば、それは問題だ。もし店で売っている商品のすべてが違法品で、そのフリーマーケットのオーナーが故買品を売る店の者に毎週販売許可を与えているのであれば、彼らは逮捕されてもおかしくない。なぜなら通常、ビジネスオーナーは自身の敷地内で行われる不法行為に対して責任があるからだ。

つまり、そのフリーマーケットがオンラインでなく、そしてそのオーナーが3950億(Googleの最新の純資産)に相当する企業でない限りは。

1997年のデジタルミレニアム著作権法セーフハーバー条項は、著作権侵害の共犯であるインターネットサービスプロバイダの起訴を免除している。

この条項は、明らかに法を遵守することができにもかかわらず、そうしていない企業によって悪用され続けている。

そしてそれらの企業は、今や米国政府に見て見ぬふりをさせることができるほどに力を持った。
それこそ馬鹿げている。

LP、CD、mp3等々は、商用フォーマットだ。もし自分たちの録音物を商用フォーマットにマスターするのであれば…それが反企業的な歌詞のノイズな作品であっても、我々は作品が生み出す利益の公平な取り分を得る資格がある。

それは我々が「特別」だからではない。自由な社会において、すべての生産者と同様の権利をが有しているからだ。

アルビニはこの問題を矮小化しようとしている。「まぁ、(「そもそも」)権利はいいかもしれないけど、それを失ったところでカバーできるから、大した問題じゃない」

「自分はこれまで音楽で生計を立ててきた…変化が、共に活動してきたミュージシャン・コミュニティの最終的な便益になったのはいつだったのかも分かる。インターネット上で音楽が無料でやり取りされることでキャリアをスタートさせ、成長させてきたのも実際に見てきた…。」

これは非常に素晴らしい主張だ。私も現役の、ミュージシャンだ。自分の経験、そして常識は、逆を示唆している。無料で簡単に手に入るものを売ることが難しいってことくらい、ロケット科学者じゃなくても知っているし、その子供になる必要すらない。では、なぜスティーヴ・アルビニは反直観的な主張をするのか?

「2日前に自分のバンドがライブを行ったイスタンブールのクラブ、そして今晩テッサロニキで演奏した会場に満員の人が集まってくれたのも、そのおかげだ。現在彼らは自分たちのバンドを好いてくれていて、今後ライブを観に来てくれたり、レコードを買ってくれたり、それから主に自分たちの活動を価値あるものにしてくれることで、我々をサポートしてくれることになる。」

ほう。ツアーが我々を救ってくれるわけだ。

数年前、インターネットの「ロングテール2」効果が、アルビニや私がいるシーンで活動するニッチな市場のアーティストたちを救うというでたらめが多く出回っていた。非常に残念だが、物事はそのようにいかなかった。

ブッキングエージェントをしているヨーロッパの友人は、ジャズ、インディー、パンク、ニューミュージック、ヒップホップ、さらにメインストリームシーンを長く経験してきているが、こんな風に言っていた。

「…これまで以上の数のバンドがツアーを行い、生計を立てようとしている…(しかし)ほとんどの場合、少額しか支払われない…。

数年前、または数十年も前に絶頂期を迎えたいくつかの「スーパーバンド」は、(セールスと権利の収入減を埋め合わせるために)再びツアーに出ており、今まで以上に多くの人を魅了している。ライブで稼いだこの小遣いはメジャーバンドと彼らの生活に流れるが…音楽プログラムの多様性や、多くのアーティストたちの収入に対して本当に良い影響は及ぼさない。」

「…多様なプログラムを揃える代わりに、ライブ会場はより画一的になってきている。」

私は先月もイスタンブールで演奏したし、Napsterの登場より十数年も前から同様のヨーロッパ巡回コースで演奏し続けている。このコースを作り上げたのはインターネットじゃない。80年代にも、90年代にも、我々は同じ場所、または似た場所で演奏をしていた。最近ではもう「満員」にはならないし、概してギャラがよくなったわけでもない。

スティーヴのバンド、シェラックがカムバックを果たしてくれたのは喜ばしいことだ。だが、「ミュージシャン・コミュニティの最終的な便益…」???

アルビニが自身を巨大なインディーアーティスト・コミュニティの代表としているのも興味深い。

「変化が、共に活動してきたミュージシャン・コミュニティの最終的な便益になったのはいつだったのかも分かる。」

おぉっと!私は同僚たちのためにでしゃばって話そうとは思わない。

しかし彼らが自身の声を上げるために、コンテンツ・クリエイターズ・コーリション(C3)という団体を立ち上げる手伝いをした。そして彼らは声を上げた。この2年間、Eメールで、ミーティングで、ベネフィットコンサートで、ラリーで、ピケットラインで…。ニューヨークから、サンフランシスコ、ロサンゼルス、その他の街…そこにはシカゴも含まれている。

そして彼らは、大きな声ではっきりと、大手の企業利益のために自分たちの生活が破壊され、権利が踏みにじられるのを見るのはもううんざりだ、と言い続けている。

(ところで、まだレコードを売って稼げていた時代にキャリアを築いた特権アーティスト(celebritynetworth.comはアルビニの純資産を1000万としている)が、自身の創作の自由と享受する公的地位を与えた広報予算に資金を提供した著作権をけなす発言をするの見るのはうんざりだと、我々のリストサーバーで2人以上がコメントしている。)

アルビニの最後の駒は、「自然」と必然性の神話の裏で我々の権利を攻撃する人間の行為を隠すことだ(「それに対してできることはあまりない」)。

「自分が言いたかったのは(言いたいのは)、音楽が一度リリースされればオーディエンスは自然にそれをシェアするということ。それに対してできることはあまりないということ。そして、それは概して良いことであるということ」

1.これは「オーディエンス」、ファン、または消費者についてではない。アーティストを犠牲にして、コマーシャル・広告ベースの侵害行為で利益を得るよう設計された企業ビジネスモデルについてである。これに対して「自然」なものは1つもなく、できることは多くある。http://www.c3action.org

デジタル革命は避けられない。だがミュージシャンの生活の破壊は避けられる。

2.広告ベースの商業著作権侵害はまったくもって良いことではない。ブラックマーケットの存在はマーケット全体を歪め、さらにSpotifyなどの合法ストリーミングサイトを、持続不可能な程低レートの支払いのままやり過ごさせる。

これに関してはでたらめと誤報がエンドレスに広まり続けている。査読済みのリサーチに興味があれば、この記事を読んでみてほしい。

3.もし所有していなければ、「共有」もなにもない。

要するにこういうことなんだ、スティーヴ。もし無料ダウンロードやストリーミングのために君の作品を投稿したり、人に投稿を許可することで、君がイスタンブールでライブをする手助けになるのであれば、そうすればいい。私たちは君が選択する権利を尊重する。質問はこうだ。異なった選択をする我々の権利を尊重してくれるかい?もしそうであれば、クールだ。君は著作権を尊重している。著作権とは=アーティストが選択する権利だ。もしそうでなければ…。まぁ、労働やセックスやガバナンスのようなものだ。同意が非常に重要なのさ。

M.リボー

PS: 次イスタンブールに行った時には、ガラタ橋の近くにあるFerraye Fishのラップを試してみてくれ。最高だから!


わずか2週間程の間に起こった著作権をめぐる2人のビーフでしたが、どうやらこのエッセイをもって終了したようです。その後、2人が接触したという情報はネット上には見当たりませんが、いずれエレクトリカルオーディオで、アルビニのエンジニアリングでリボーの作品を録音してくれたら素敵ですね。

アルビニが直接投稿したGearslutz.comというサイトの掲示板のスレッドにも、様々な意見が書き込まれていますので、興味がある方は読んでみてください。こちらから。

脚注

  1. 低予算でも完成度の高い作品を生み出す技術、といった意味。
  2. しっぽのようにのびた、あまり売れない商品が欠かせない収益源になる、とする考え方。(コトバンクより)
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