グレッグ・ギン インタビュー (2010)

2010年3月、Stay Thirstyに掲載されたグレッグ・ギンのインタビュー翻訳。


「少なくとも、ブラック・フラッグにはグレッグ・ギンという唯一無二の存在があった。彼こそがバンドの重要な要素だ」―ヘンリー・ロリンズ(2009年11月)

グレッグ・ギンはオリジネーターである。彼のバンド、ブラック・フラッグと共に、意図せずたった一人で「ハード・コア」というジャンルを定義した彼は、ロバート・ジョンソン、エルビス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、ビートルズ、グレイトフル・デッド、ラモーンズ、Run DMCらと並び、既存の音楽シーンを破壊し、革新的な作品を世に送り出したミュージシャンの一人である。一応言っておくと、ちなみに彼の名はローリング・ストーン誌のトップ100ギタリストにも選ばれている。

ブラック・フラッグは能動的即興性を信じたグループだった。メンバーと音楽性を常に進化させる一方、自発性と独創性は彼らの絶対的信条でもあった。ブラック・フラッグの活動を続ける中、自分たちの音楽だけをプロデュースするためにギンはL.A.にSSTレコードを設立した。やがてソニック・ユース、ミート・パペッツ、ダイナソーJr.などのバンドのレコーディング、プロデュースも手がけ始める。

近年ではジャムバング(Jambang)、そしてグレッグ・ギン&ザ・テイラー・テキサス・コルゲーターズ(Greg Ginn and the Taylor Texas Corrugators)としてレコーディングとツアーも行っており、ギンのキャリアは彼の音楽に対する志を確かなものとし、ライブとスタジオでの即興音楽の演奏を続けている。

では「ハード・コア」ロックの父であり、ブラック・フラッグのリーダーである彼は、いかにしてタイダイシャツに身を包んだジャムギタリストへと転向したのか?彼が言うには、初めから何も変わっていないとのことだが…。

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―あなたは1976年にブラック・フラッグを結成されました。最近ではジャムバングとして『Connecting』を、グレッグ・ギン&ザ・テイラー・テキサス・コルゲーターズとして『Goof Off Experts』をリリースされています。特に後者は「ハード・コア」とは正反対のジャンルですが、なぜこのような音楽的転向が起こり、インプロヴィゼーション「ジャム」シーンにフォーカスするようになったのでしょうか?

即興演奏はこれまでもやってきたんだよ。本質的にはそうやってギターを始めたんだ、グレイトフル・デッドや色んなインプロ・ミュージシャンを見てね。だからこれが俺の音楽の起源なんだ。最近になって転向したってわけじゃないんだよ。ブラック・フラッグでやってきたことを見直すと、1985年に出したインストだけのレコード(『The Process of Weeding Out』)はほとんど即興だったしね。ライブでも即興はよくやってたんだ。こういうスタイルはずっと好きなんだよ。ブラック・フラッグは初めてのバンドだったから、他のメンバー達とどういう風に演奏するかっていうのを習得するプロセスの一つだった。インストだけの曲は今までもたくさんリリースしてきたし、俺にとっては新しいことじゃないのさ。リスナーがブラック・フラッグの特定の側面だったりイメージを持ち続けてるってだけで、最近の俺の活動は予期しなかったようにも見えるだろうから。でも俺にとって自分の人生はいたってノーマルだよ(笑)。

―ではジャムバングについて聞かせて下さい。このグループは音楽とヴィジュアル効果を組み合わせていて、エレクトロニックとオーガニック編成のハイブリッドになっていますよね。グループのメンバーはボビー・バンカラリ、スティーヴ・デロリス、ジョーイ・キートンとあなたです。どうやってこのプロジェクトは実現したんでしょうか?

彼らはみんなL.A.エリア出身なんだ。L.A.は俺が子供の頃からずっと育ってきた場所さ。それから5年前にテキサスに引っ越したんだけど、今でもよくロングビーチで過ごしてるんだ。(SST)スタジオは去年までそこにあったんだけど。スティーヴはいくつかのレコーディングで一緒に作業をしてて、ボビーは地元で演奏してるのを見て、すごく良かったんだ。バンドを結成する時になって、彼らに声を掛けたんだよね。でも俺はテキサスに引っ越すし、スタジオもそっちに移動することになってたから、一時的か、もしくはあまり長続きしないプロジェクトのつもりでいたんだ。地理的な状況もあってバンドはいくつかの変化も経て来たけど、それは最初から分かった上でのことだった。

―今あなたはジャムバンド的なプロジェクトに参加されてますが、大きなフェスや、ツアーを周ろうとは思われてますか?

是非やりたいね。ただ普通フェスに出るにはもっと時間が掛かるものだよね、長くやって知名度のあるバンドは沢山あるから。たくさんのフェスで演奏したいとは思ってる。今年いくつかの小さいフェスではやってね、もう少しある予定なんだ。でも自分一人でも色んなフェスに行って色んなバンドを見たいね。好きなんだよ。だからそこで演奏ができたらナイスだよね。今のところはほとんどクラブで演奏してる。ツアーに出たらもっと沢山プレイしたいし、スケジュールはキツキツになるだろうね。大規模なライブをちょくちょくやるより、毎日色んなところでライブをしたいよ。

―もう一つのバンド、グレッグ・ギン&ザ・テイラー・テキサス・コルゲーターズですが、これはあなたがアルバムを作ってツアーを周るメインのバンドでしょうか?

イェス、ニューアルバムも出る予定だよ。さっきも言ったようにレコーディングはいつもやってるから、なにをリリースするかっていうのはまだわからないんだ。ジャムバングもDVDを出すよ。ジャムバングのライブでは映像も使ってるから、こういう形のリリースになった。ジョーイ・キートンっていうヴィジュアルアーティストと一緒にやっていて、俺らの曲すべてに映像を付けてくれてる。ライブでは映像と連携してるから、次はその映像も載せてDVDをリリースしようって決めたんだ。

―その時々でどちらのプロジェクトをやるか、どうやって選んでるんですか?

これまでやってきたほとんどのツアーでは両方のグループで一緒に周ってるよ。毎晩かなり長い間演奏してるけど、楽しいよ。ザ・テイラー・テキサス・コルゲーターズは基本的に即興だから、ライブで曲を構築していくんだ。コルゲーターズでは突拍子もない即興演奏が出来るし、ジャムバングではもっと壮大な構成の曲が出来るし、両バンドともすごくエンジョイしてるよ。

―曲構成と即興というのが、2つのバンドの主な違いでしょうか?

イェス。ザ・テイラー・テキサス・コルゲーターズは至る所でやってるんだ。色んな人とばく大な量のレコーディングをしてきたから、出来たものを出すって感じだね。3月後半にコルゲーターズだけでツアーをする。ジャムバングは活動を続けるのに少し時間がかかるからね。どちらかのバンドでもっとツアーをするつもりなんだ、そうすれば他のバンドとももっと関わりあえるしね。(前回のツアーではザ・テイラー・テキサス・コルゲーターズがジャムバングのオープニングを務めていた。グレッグ・ギンは前座もヘッドライナーも務めていた。)別のやり方だと、他のバンドの前座を務めたり、共演ができる機会が少ないから。だからそれは楽しみにしてるんだ。プロモーションって意味では、他のバンドと共演するっていうのも、たまにはいいものさ。だから今年はそんな予定だ。多分一つづつやってみて、どんな感じになるか見てみるよ。

―1976年、カリフォルニアのハモサビーチでブラック・フラッグは始まりました。バンドはあなたの子どもであり、作品であり、音楽的使命です。バンドを始めた時、パンクの新しいジャンルを開拓することになると想像していましたか?

バンドを始めた時、俺と最初のシンガーであるキース・モリスがコンセプトを決めたんだ。「ハード・コア」って言葉を初めて耳にしたのは80年代初め頃だったから、創造の原点だったのかもね。そういうジャンルだとかって言うのは考えてもみなかったよ。ストゥージーズとラモーンズに影響を受けたんだ。彼らが俺らをインスパイアしてくれた。1976年にラモーンズが初めてL.A.にツアーに来たとき、キースと二人で見に行ってね。ライブを見た後、彼らに出来るなら俺らにもきっと出来るって言ったんだ。キースはいいシンガーになると思ってたし、ラモーンズを見た後、彼は「オペラ歌手みたいにならなくてもいいんだ」って思ったみたいだよ(笑)。彼は彼のことをやればいいんだって。だから始まった時は別に「ハード・コア」じゃなかった。パンクロックこそが75、76年においてはまったく別物の音楽だったから。それからたくさんの人が細かく定義していった。みんな自分のカラーを出し始めたって感じでさ。当時のロックに関して言えば、俺らは様々な部分において色んなものを付け加えたと思うよ。曲を発表すれば、オーディエンスは付くと思ってた。ただそれ以上にジャンルを定義したりはしてなかった。それは他の人に任せるよ。


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―評論家やレビュアーはあなたのギタースタイルをアヴァンギャルドと評してます。ヘンリー・ロリンズはあなたのスタイルを、他のギタリストとではなくジャズのサックス奏者と比較しています。ブラック・フラッグ時代、自身のプレイが制限されているよう感じたことはありましたか?演奏する上で見に来ているオーディエンスに影響を受けたりしたこともあるんでしょうか?

いいや、オーディエンスに関してはあまり気にしないよ。必ずしも誰かを喜ばせたりとか、求められるものに応えようと思って音楽を始めたわけじゃない。人に対して表現したいことがあったから音楽を始めたんだ。オーディエンスが聴きたいものっていうのは、こちらが思っているのと向こうが実際考えてることと違ったりするからね。ブラック・フラッグは10年間「新しい音」をプレイしていた。そういう光の中で俺たちは常にオーディエンスを試し続けてた。メンバー交代も含め初めから終わりまで本当に色んなことがあった10年だったよ。ブラック・フラッグを進めながら即興演奏にもっと興味のあるミュージシャンたちと繋がろうとしたよ。マーケットでどうやって自分たちを売っていこうかなんてことをずっと考えてるような奴らとは距離を置いてた。しばらくしてから音楽ジャンルっていうのが型にはまるようになってきて、こういう要素が入っているからこういうジャンルの音楽でなきゃならないって皆考えるようになったね。

―2003年、あなたが関心を注いでいる猫の保護団体のチャリティため、ブラック・フラッグは再結成ライブを3回行いました。その後当時のメンバー達と再結成の話などはされたりしていますか?

2003年に再結成した理由っていうのは、元のメンバー達がまた会ってなんかやろうよってずっとしつこく言ってきてたからなんだよ(笑)。だから慈善コンサートとしてやろうと決めた。ただすごく大変だったんだ、特に俺のパートはね。それにブラック・フラッグで演奏したメンバーっていうのは20~25人くらいいるから。ほとんどの人はオリジナルメンバーの名前も言えないだろうね。みんな自分が好きなメンバーとかがあるんだよ。本当に色んな人がいてね、何人かはもう音楽もやっていないし、何人かは違うタイプの音楽をやっていて、でも俺はもう一度同じことをやりたいとは思わないんだよね。だから慈善コンサートとしてやったんだけど、結果すごく大変だった。でもたくさんの寄付を集められたから、それは最高だったよね。

―元々はブラック・フラッグのデビューシングルをリリースするためにSSTレコードを立ち上げられましたよね。そこからソニック・ユース、サウンド・ガーデン、ミート・パペッツやダイナソーJr.等と契約を結んでレコーディングをしてきました。80年代にあなたがプロデュースをした音楽や、SST初期に在籍していたバンドメンバー達と今も交流は続けてられますか?

俺の音楽的趣向は年月を経て少しずつ変わって来てるんだ。自分はあんまりノスタルジックな人間じゃないし、他のバンドの再結成ライブにも一度も行ったことないよ。12年以上も続けているバンドとか、そんなたくさんのバンドは好きじゃないって最近気づいた。新しいバンドの方が好きなんだよ。なぜかっていうと、ほとんどの場合バンド活動をし続けていると最終的にオーディエンスのために演奏するようになるから。「このバンドのあの当時の姿を見てみたい」とかっていう考え方は、俺の音楽の楽しみ方じゃないんだよ。そういうことじゃないんだ。誰かが何か新しいことをしているのが聴きたいね。どんな種類の音楽でも、代表曲とか何か自分たちのトレードマークみたいなのが浸透した時点でそういうことが起こるんだよ。それがバンドのキャリアを作って、最終的に金になる。若い人たちがバンドの再結成を観たいっていうのも理解できるよ、当時はまだ生れてなかったからとか、そういうのでさ。でもそれは俺の興味じゃないんだよね。そういうライブには行かないし、懐かしの舞台で演奏したりっていうのも俺はしない。

―最近のSSTレコードはどういった状況でしょうか?あなたはどんな風に関わってらっしゃるんですか?

ツアーで忙しいし、まだまだもっとツアーしたいからさ、難しいんだよ。レコーディングはしょっちゅうするし、自分の作品は結構たくさんリリースしてきてはいるんだよ。とりあえず今は自分の音楽を自分でプロデュースして自分で出してる。いずれ他のバンドのリリースもしたいとは思ってるんだけど、今は自分のツアーで手一杯の状態だね。レーベルは自分のとブラック・フラッグの音楽をリリースするためだけにスタートしたし、ずっとそんな感じなんだよ。でも他のバンドもリリースしてきたよ。全部を同時にやることは出来ないから、今はちょっと難しいんだけどね。自分の時間の半分はツアーをやってるし、レコーディングとツアーをしながら他のことをやるってのはちょっと出来ないかな。

―キャリアを通して、あなたは色々なギターを使ってきましたよね。アンペグ、フェンダー、それにアイバニーズまで。現在ジャムバングとテイラー・テキサス・コルゲーターズではなんのギターを使ってるんですか?

90年代初期からはもうずっと同じギターしか使ってきてないよ。友達から買った、ストラトタイプのカスタムギターさ。弾き始めたらとても気に入っちゃってね、今は実質それしか弾いてないよ。ベースも弾くけど、ほとんどの人はギタリストとしての俺しか知らないよね。ずっとベースも弾いてたんだ。両方とも同じくらいの時間を費やしてきたと思う。90年代初期からはずっと同じプレジジョンベースを使ってて、80年代中頃でも使ってた。一つの楽器が好きになるんだよね。それに慣れちゃうと考えすぎる必要もなくなるから。音もそんなに変えたりしないんだ。時々ちょっとクリーンだったり、歪んでたりっていうのはあるけど、ペダルも使わないし。それに関しては一貫しようと努めてるよ、クリーンと歪みの違いは作るけどね。とにかく90年代初期からは同じ楽器しか使ってないよ。

―音楽シーンであなたは既にベテランの域ですが、あなたの音楽的趣向は新しいものに向かっています。今後音楽はどのようになっていくと思われますか?

ロックはもともと一つだった。60年代にはたくさんの「ロックバンド」しかいなかった。今や50、60年代に比べると1000倍以上の数のバンドがあるよね。本当に沢山いて、色んな種類がありすぎる。ロックはあらゆるの人のためにあらゆる形になってどんどんと拡大してきた。すべての音楽スタイルからの影響があるし、たくさんの相互交流が行われている。宅録からデジタルまでたくさんの音楽が次々に溢れてくるから、聴いて選り分けることも難しかったりするよね。ハイクオリティな音楽を作る事だって今や誰でも手軽に出来るようになって、思うにそれが音楽を大きく変えたと思う。自分の音楽性っていうのは、ポスト・ポスト・モダンだと思ってるんだけど(笑)。言い換えるなら、アイロニーとか利口さっていう、そういうポスト・モダンなもの全部に飽き飽きしてるんだ。そんな沢山のロックバンドは聴いてないよ。即興の要素があるバンドを基本的には聴くね。

―最近はどんな音楽を聴いてますか?

基本的にジャズのライブに行くことがほとんどだね。ジャムバンドとか、エレクトロニック音楽に興味を持ち始めたのは2000年代のことだ。そういうタイプのバンドは沢山観て来たよ。すごく好きだし、自分でもその辺りのシーンで音楽を作ってるよ。そういうのは90年代にはまだまだぼんやりとしていたけど、今やたくさんの人が色んな要素をクロスオーバーし始めたよね。即興の影響を受けてるエレクトロニックの音楽が俺は好きだね。その辺りのバンドがお気に入りだよ。ジャズも勿論好きだけど、また沢山のバンドが即興要素を持つようになって来て、ここ6、7年は興味がまたロックに戻ってるよ。

Black Flag performing at Mi Casita in Torrance, California, 1983 &#x...
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