ハスカー・ドゥのアメリカ国外初ライブ、ボブ・モールド インタビュー (1985)

1985年5月14日、イギリス、ロンドンのカムデン・パレス(Camden Palace)にて、ハスカー・ドゥはアメリカ国外では初となるライブを行いました。『Live from London』というTV番組が企画したもので、機材はレンタルでした。セットリストは主に『Zen Arcade』(1984年7月)、『New Day Rising』(1985年1月)から。当時まだリリース前だった『Flip Your Wig』(1985年9月)からも数曲演奏されています。約1時間で20曲を披露しました(以下参照)。この映像は放映されましたが公式には発表されておらず、ブートレグとして出回っています。

ロンドンのオーディエンスを意識してか、ビートルズの「Ticket to Ride」もセットリストに入ってますね。このカバーのスタジオテイクは翌年1986年、NMEの2月号の付録で付いてきたEP『NME’s Big Four』に収録されています。(4バンド4曲入りオムニバスで、ハスカーの他にはトム・ウェイツ、ジーザス&メリーチェイン、トラブル・ファンク

ライブ直前に行われたボブ・モールドのインタビューも映像として残っています。以下はその訳。

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―ハスカー・ドゥのボブ・モールドに来てもらっているよ。ボブ、ようこそロンドンへ。たった今到着したそうだね。今回が初めてのロンドンらしいけど、時差ボケしてるかい?

そうでもないね。アメリカのツアーでは車の移動中に不規則に寝たりしてるから。時差ボケはないよ。

―それはよかった。ありきたりな質問だけど、ハスカー・ドゥを知らない視聴者のためにも、バンドの歴史を教えてくれるかい?

俺たちは78年初頭に出会って、音楽を聴き始めて、バンドをスタートさせたのが79年の最初の方だから、今のメンバーになってからは大体6年と3ヵ月くらい経ったね。

―自分達の音楽をどんな風に言い表す?

ネオサイケって言われたり、ハードコアパンクって言われたり、不快な音楽だって言われたり(笑)。色んな言われ方をしてきたけど、俺らはただ、個人的な事をテーマに歌っている普通のロックバンドだと思ってるよ。

―でもロンドンのオーディエンスは君らのライブを見て、パンクなイメージを持つと思うんだ。イギリスのパンクバンドが(君にとっての)ヒーローだったりするのかい?

そうでもないかな。それより70年代後半のニューヨークの音楽とかかな、ラモーンズとか。ピストルズからはあまり影響を受けてなくて、それよりバズコックスとか、77~78年あたりのバンドだね。実際のルーツは60年代のポップミュージックだと思う。こっち(イギリス)だとビートルズとかザ・フーとか、アメリカだとバーズとかそっちのラインだね。バッファロー・スプリングフィールドとか、ママス&パパスとか。

―ママス&パパス(笑)?ワオ、そうなんだ。えーと、君はミネアポリス出身だよね?地元でバンド活動を始めたそうだけど、ミネアポリスでは簡単にライブができるのかい?というのも、ミネアポリスってあまり音楽的には知られて無いからさ。

もちろん、ライブをするのは簡単だけど、ライブで稼ぐとなるとずっと難しくなるね。ただバンドをやり始めた最初の方は仲間外れにされててね。81、82年のカリフォルニアで流行った、速くて攻撃的なパンクスタイルを79、80年の頃から、なんというか先取りしてやってたから。当時中西部ではそんなのやってる奴はいなかったし、俺らは部外者っていうか、笑いものだったよ。全然オシャレじゃなかったし、オシャレに見えないし。だからこそ「マジでふざけんなよ」っていうアティテュードが生まれたんだろうね。俺らは俺らでやってやるぞって。


余談ですが、Hüsker Düというバンド名は、ベーシストのグレッグ・ノートンが、トーキング・ヘッズの「Psycho Killer」のサビ「Psycho killer, qu’est-ce que c’est?」「Psycho killer, Hüsker Dü?」とリハ中にふざけて歌ったらメンバーにウケたのが由来です。

「Qu’est-ce que c’est?(何それ?)」はフランス語で、発音が難しいために適当に知っている外国語に置き換えたそうです。「Hüsker Dü」というボードゲームが70年代にあり、言葉の意味はデンマーク語/ノルウェー語で「Do You Remember?」。後に「ロックが良かったあの頃を覚えてるか?」という意味を後付けしたそうです。

参照

Dangerous Minds

Todestrieb

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