イルミン・シュミット インタビュー (2018)

CANの創設メンバー/キーボード奏者であるイルミン・シュミットは1937年ドイツ生まれ。バンド活動以外にも40以上の映像作品のスコアを書くなど、現在も精力的に活動されています。また、70年代からシュミット夫人がCANのマネッジメント及びSpoon Recordsの運営をされているようです。

彼は2018年に『All Gates Open: The Story of Can』というCANのバイオグラフィー本を出版。以下は2018年5月にthe Quietusに掲載されたインタビューの和訳です。原文はこちらから。

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でたらめへのプロテスト

1968年ケルンで結成されたCANは、儀式的ミニマリズムを具現化し、進歩的でありがなら同時に原始的でいることをなんとか成し遂げた。長尺の即興的セッションから自身の音楽を組み立て、ベーシックなスタジオ機材を革新的に利用することで、CANは史上最高とも言えるアルバムを作り上げた。7枚の素晴らしいレコードと、Tago Mago、Ege Bamyasi、Future Daysという無敵の3作品だ。


評論家からの称賛と、ポピュラーミュージックシーン舞台裏における厳然たる存在感にもかかわらず、CANは自身が影響を与えた数々バンドに比べるとあまり知られた存在ではない。これに関して、バンド初のオフィシャル・バイオグラフィー『All Gates Open: The Story of Can』が一翼を担ってくれることを願う。

『Electric Eden』の著者であり、Wire、Uncut、Guardianなどに寄稿もするロブ・ヤングの素晴らしく喚情的な散文によって、本の第1節にはCANの詳しいバイオグラフィーが記されている。第2節の「CAN Kiosk」には、唯一存命しているバンドのコア・メンバーであるイルミン・シュミットによって集められたオーラルヒストリー集、CANに影響を受けたミュージシャンやフィルムメイカーへのたちへのインタビューが、個人の夢や日記などと共に収録されている。メンバーそれぞれが持つ異なる背景を描くことで、バンドが非凡な発展を遂げた理由の数々が明らかになる。

ホルガー・シューカイとイルミン・シュミットは、60年代中期にケルンのライン音楽学校で作曲家のカールハインツ・シュトックハウゼン1が講師を務める現代音楽講習で出会った。(同講習には未来の「第四世界」トランペット奏者、ジョン・ハッセル2も出席しており、彼は「よりオープンな生徒たちにLSDタブレットを流していた。」)それ以前にシュミットはクラシックレパートリーの基礎を学んでおり、ザルツブルク・モーツァルテウム大学では指揮の技術を磨いていた。バンドメンバーで最も若いギタリストのミヒャエル・カローリはシューカイの生徒で、教師である彼にロックミュージックの可能性を説いていた。ドラマーのヤキ・リーベツァイトはジャズ畑出身だが、フリージャズの先行きの暗さに幻滅していた。彼はライブの後である人物から言われたコメントに衝撃を受けた。「単調にプレイしなきゃだめだよ!」

1966年1月のことだった。シュミットはニューヨークを訪れ、アンディ・ウォーホルの映画を観賞し、ラ・モンテ・ヤング3、スティーヴ・ライヒ4、テリー・ライリー5らと共に過ごしていた時期に、このコンビネーションの可能性に気が付いたのだった。この4人のミュージシャンが持ち寄った異なる視点が、「新しいアティテュードと可能性の銀河」を開いたと、今彼は見ている。CANの歯車は回り出した。

とても面白いストーリーだ。(ポップでも、クラシックでも、ジャズでも、ロックでも、ミニマリズムでもない新しい音楽を生み出す)可能性の予感は、今日同様のことを試みようとする者を妬ましい気持ちにさせる。数々の扉が開かれいるようで、数々の道に誰もまだ足を踏み入れていないその瞬間を。

そのコラージュスタイルを冷静にとらえた引用文の中で、マックス・ダックスとロバート・デフコンは、この本の「CAN Kiosk」のイントロダクションに以下のように記している。「すべてがすべてと繋がっているようだ。作曲家と料理レシピ、哲学者と音楽、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』6とCAN。」

イルミン・シュミットはとても親切に、彼の自宅があるフランスから電話越しにQuietusに語ってくれた。

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―音楽のバイオグラフィーは、バンドにまつわる謎を助長したり、悲しいかなその足を引っ張ってしまうこともあります。本のロブ・ヤングのセクションに関しては満足していますか?

もちろんさ。最初から2人でとても密に取り組んできたからね。音楽にはまだまだ謎があるし、どの世代にも、そこに新しいものを見つけ出す新世代のミュージシャンがいるのさ。なぜならすべての謎を明らかにすることはできないからね。それが一番重要なことだ。そこにはいつだって新しい何かが潜んでいる。

―今日でもCANの音楽が非常に同時代的に聴こえると、誰もがあなたに言っていることは承知しています。CANの音楽のエバーグリーンな感覚をどのように説明されますか?

おそらく理由はたくさんあるんだが、非常に様々なアングルから聴くことができて、誰もが異なる何かを見つけることができる、そんなとても深みのある音楽であることが主な理由だろう。それが謎を生み出すんだ。実際、ヤキがCANの前はジャズ・ドラマーだったり、ホルガーや私がクラシックのトレーニングを受けたミュージシャンだったりと、異なる音楽的経験からグループが結成されたことによって、それが生じたんだ。皆が異なった個人の音楽的歴史をバンドに持ち寄り、それが今もそこに存在している。だから歴史的にも個人の音楽体験においても非常に豊かで、これは他の音楽では稀なケースなんだ。

―本の中のホルガー・シューカイの発言にショックを受けました。「私はこれをCANという生物のようだと考えた。始まりがあり、青年期を経て、年老いて死んでいくのだ。」 音楽も同様に、一度何かが記されればそれは潜在的に不死の生物になるというアイデアはいいですね。

あぁ、私もそう言っているよ。それが私たちの狙いだった。自分たちの異なる経験すべてから新しい生物を生み出すことができる。本当に動き出す瞬間があったんだ。グループは正しかった。私たちはテレパシーのような感覚を持っていて、4人がひとつの生物になるんだ。

本の私のパート、「Kiosk」で、私は同じ言葉でそれを語っているよ。すべてが4人の異なるミュージシャンではない、それを超えた1つのユニットへと変化する。それがどのようにして突然起こり得るのかを説明しているんだ。

―本のロブ・ヤングのパートからのさらなる引用です。「『戦争の悲劇』が、後にCANが生み出す音楽の黒い部分であると、イルミンは主張する

私たちは皆戦争を体験していた。しかし主に戦後のことだ。我々が生まれ育った、荒廃した国。もちろん、これはロブが美しい言葉に翻訳してくれたことの1つでもある。私も同意するよ、もちろんね。自分が育った戦後、荒廃した田舎町の体験というのは、個人的には自身の感情や世界の見方に大きな影響を及ぼすものだった。それから、時が経ってもこの世界をとてもポジティブに見ることができているなら、それ自体が荒廃した国で過ごした幼少期に対するリアクションということなんだろう。

―本にはあなたの音楽的影響が詳細に記されています。シュトックハウゼン、ジョン・ケージ7、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジミ・ヘンドリクス。1966年にニューヨークを訪れたことも。これはあなたにとってどれほど重要な出来事だったんでしょうか?

とても重要だよ。というのも、当時ドイツでは、アメリカとイギリスからやってくるポップ音楽と、クラシック音楽があって、これら2つの間には大きな隔たりがあったんだ。私はクラシックミュージシャンだった。ポップやエンターテイメントはひとつのもので、文化やクラシック音楽に比べたら価値の低いものだった。

ニューヨークに来てみたら、そこに隔たりはなかった。すべてがひとつで、いい音楽かよくない音楽かというだけ。ジャズもクラシックも新しい試みもミニマルも何も関係なかった。どちらにより文化的な価値があるか?という判断をすることがなく、これに私は大きく影響を受けたんだ。

ドイツに帰ると、誰かの言った、シリアスなものとエンターテイメントの間にある隔たりを目の当たりにした。それから突然、そんなのはでたらめだと気が付いたんだ。様々な理由がある中で、もちろん、CANが創りだす作品はポップとクラシックとの隔絶という、このでたらめへのプロテストだった。いい音楽を作る、ただそれだけだということに気が付いたんだ。それがジャズだろうと、クラシックだろうと、コンテンポラリー・エレクトロニックだろうとね。すべてはひとつなのさ。

―その他にこの本が強調している点として、映画製作者的手法、すなわちテープを切り貼りするプロセスがバンドにとって重要であるということです。

私はCAN以前に既にその経験があったんだ。CANよりずっと前に映画の仕事をしていたからね、それをCANに持ち込んだのさ。切り貼りするテクニックは、カールハインツ・シュトックハウゼンのエレクトロニック・スタジオでも使われていた。そして1966年のニューヨークにおいても、とても新しい試みだったんだ。

例えばニューヨークで私はスティーヴ・ライヒに出会った。彼はちょうど最初のループ作品を作り終えたところで、これはある意味テープカッティングのテクニック的でもある。『It’s Gonna Rain』だね。だから、異なる録音のコラージュを作って、それを新しい形に落とし込むというアイデアを私やホルガーに与えてくれたのは、フィルム・テクニックだけじゃなかったんだ。

すべての文脈における20世紀アートの基本原理のひとつさ。文学でいえば、ウィリアム・バロウズを考えてみてほしい。またはアートや絵画でも、コラージュは20世紀の基本形のひとつだ。だからテープ音楽のコラージュと共に育ってきたようなものなんだ、特に私やホルガーはね。もちろん映画も影響を受けたもののひとつだよ。

―本の中で、グルーヴを何よりも重要視したいヤキには、編集テクニックは受けが悪いこともあったというのが興味深かったです。

彼はジャズ畑出身だし、それにジャズシーンでは誰もそれをやらなかったからね。マイルス・デイヴィスまでは。同じ時期に、彼もテープを編集して、異なる形にまとめることをし始めたんだ8。でも一般的にジャズミュージシャンはこのアイデアを嫌っていた。彼らにとっては、ただひたすらにプレイすることが大事だったから。でもコラージュがうまくいった時には、ヤキは喜んでくれたよ。

―ヴォーカリストについて聞かせてください。マルコム・ムーニーという触媒がいなければCANのスタートは異なっていたようにも思えるのです。

バンドメンバーの1人ひとりが大きな変化をもたらしたんだ。なぜならそれがグループの基礎であり、共に音楽を作り、共に作曲をしたから。1人の作家がいるわけではいんだ。グループ全体が作家だったんだ。だからもしグループの構造が変われば、もちろん、生物全体も変わる。マルコムが加入した時がそうだった。言ってみればより自発的に。爆発的ですらあった。彼が離れてダモが加入した時もまた変化があった。彼らふたりとも、生物の1/5を担っていた。1/5を取り去ってしまえば、その生物は別のものになる。

―バービカンセンターで行われたCANプロジェクトショウ9で披露されたあなたのクラシック作品は素晴らしかったです。その後のステージに登場したグループは、発表から長い年月を経たあなたの楽曲を演奏しましたが、どうご覧になられました?

素晴らしかったよ。私はソニック・ユースが大好きだし、サーストンは素晴らしいミュージシャンだ。彼のやっていることがとても好きだよ。あれはCANみたいじゃなかったと言っている批評家がいたけど、理解できないね。CANに似ていちゃだめなんだ。サーストンがCANの作品を演奏しているようであるべきで、CANとまったく同じサウンドであるべき理由はないよ。私たちの作品は異なった解釈で演奏することができる、そこがとても面白いと思ったんだ。

―CANスタジオの装飾品が買い取られ、グローナウのrock’n’popmuseumで展示されていることに関してはどのようにお考えですか?

もう諦めたよ。置いていったんだ。だから、それらを再現するという彼らの計画に同意しない理由もなかった。でも現状、それがまだ存在しているすらかもはっきりしないんだ。ま、ただの道具からね。大して重要なものじゃない。私たちがそこにいた時、それがどうあったのかという記憶の方が大事なのさ。マットレスや道具がどこに行こうと気にしないよ。

―本にある、晩年のマーク・E・スミス10との会話がとても好きでした。あれが彼との初対面だったんですか?

そうだよ、あれはおかしかった。70年代に電話で話したことはあったんだよ。CANがライブバンドだった時代の、本当に最後の時期だった。私たちに電話をかけてくて、一緒にプレイすべきだと言っていたんだ。彼は非常に熱心だったんだけど、私は「悪いけど、私たちはもうライブをやらないんだ」としか言えなくてね。

彼は強くせがんできてね。何度か電話してきたんだ。でもとても残念だ、一緒にプレイすべきだったよ。

―彼のインタビューを読むと、ある人に対しては非常に敵対心を持つタイプだったようなんですが、あなたと話している時は、彼の違った一面を見ているようでした。

あぁ。(私と会った時は)むしろ物腰柔らかな感じだったよ。私の手に触れて、優しく撫でてね。とても暖かい人物だったよ。

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脚注

  1. Karlheinz Stockhausen: 数々の現代音楽家の他、クラフトワークのメンバー、クラウト・ロックと呼ばれる作品の数々を手掛けた名プロデューサーのコニー・プランク等もシュトックハウゼン門下生。ドイツ国内のみならず、シュトックハウゼンの影響を受けたミュージシャンには、フランク・ザッパ、ピンク・フロイド、ジェファーソン・エアプレイン、グレイトフルデッド、ビヨーク等々挙げたらきりなし。
  2. Jon Hassell: ミニマリズム、ワールドミュージック、エレクトロニクスなどを融合させた自身の音楽スタイルを「Fourth World(第四世界)」と呼んでおり、このコンセプトは1980年に発表したブライアン・イーノとのコラボレーション『Fourth World Vol. 1: Possible Musics』で初めて録音された。
  3. La Monte Young: 現代音楽作曲家。ドローン・ミュージックのパイオニア。
  4. Steve Reich: ミニマル・ミュージックのパイオニアである作曲家。
  5. Terry Riley: こちらもミニマル・ミュージックの代表する作曲家のひとり。
  6. 1913年~1927年にわたって発表された長編小説。現代は『À la recherche du temps perdu』。
  7. John Cage: アメリカ出身の現代音楽の巨人。
  8. 1969年の『In A Silent Way』でプロデューサーのテオ・マセロがテープ編集を行った。
  9. 2017年4月8日、ロンドンのバービカンセンターで、『CAN Project』と称してCANの50周年を記念するコンサートが開催された。第1部ではイルミンの指揮によるロンドン・シンフォニー・オーケストラの演奏。第2部ではマルコム・ムーニー&サーストン・ムーア率いるCAN supergroup(その他のメンバーはパット・トーマス、デブ・グージ、ヴァレンティナ・マガレッティ、トム・レリーン、ジェームス。セドワーズ、スティーヴ・シェリー)が初期の曲を披露した。
  10. Mark E. Smith: ザ・フォール(The Fall)のシンガー。2018年1月没。
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