マルコム・ムーニー インタビュー (2016)

マルコム・ムーニーは1940年アメリカ生まれのアーティストです。CANには初代ボーカリストとして68年~70年まで在籍し、89年の再結成アルバム『Rite Time』にも参加しています。自身が率いるバンド、マルコム・ムーニー&テンス・プラネット(Malcolm Mooney And The Tenth Planet)としても二枚の作品をリリースしています。

この記事は、2016年1月にL.A. Recordに掲載されたマルコム・ムーニーのインタビューの翻訳です。

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もしあなたにとって、この現代が時に20世紀後期のカート・ヴォネガット1のランダムなブリコラージュの再来だと感じるようであれば、まだ注意力が足りていない。なぜなら現代はそこまでランダムではないからだ。見たところ我々は時代に取り残されてはいないし、我々世代が持つスターウォーズやマカロニ・ウェスタンやゾンビに対する不変の愛でさえ、来年(2017年)ジャッキー・ウィルソン2のホログラムツアーが開催されるニュース同様に、もはや驚くに値しないのだ。そう考えると、現代の若者が『Monster Movie』や『Delay’68』のシャツを着ている光景というのも、旅するアメリカン・アーティスト、マルコム・ムーニーがドイツへのヒッチハイクを決意し、結果的に多くのプログレッシブ・バンドの中で最もアヴァンギャルドなバンドのフロントマンになった時以来世界中で発生している、ロックミュージックの奇妙でおかしな転換の一つでしかないのだ。ニューヨークタイムズのデビッド・ボウイ死亡記事において、彼に強い影響力を与えたバンドとしてCANが引用されたこともあり、ロック・ジャーナリストと評論家にとって、長年に渡って世界的に埋もれてきた約20年もの活動(そして「クラウト・ロック」という言葉)に、今こそケリをつける時ではないだろうか。今尚現役で活動するマルコム・ムーニーは、CANの1stアルバム、そして彼らの再結成アルバムにてフロントマンを務めている。『Delay’68』に収録されている「The Thief」はレディオヘッドにライブでカバーされているが、私を満足させるに至っていない。彼は1月24日にthe Echoにてライブを行うということで、この度CANのオリジナルフロントマンを知る素晴らしい機会を頂いた。本インタビューはロン・ガーモンによるものである。

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―ハロー、Mr.ムーニー。

今2時かい?323の数字を見て、君がマーク・ウェインスタインだと思ったよ。僕がここで知ってる唯一の人だからね。コーヒー挽くからちょっと待っててくれるかい。(重い機械ノイズが響く)あぁ!これは音楽的じゃないか。(即興でビートを刻み、スキャットで歌い始める)アイイイイイイヤアアアアア!!!いけるね。

―その機械壊れてません?

多分ね。この会話を後で送ってくれるかい?記事になる前に確認したいからさ。僕が言ってないことをどんな風に書かれるか見たいんだよ。言った覚えの無いことが記事になって引用されたことがあるからね。

―私たちはそんなことしませんよ。これはインタビューであって幻覚(hallucination)じゃないですから。

以前ボストンにHallucinationっていうバンドがいたんだよ。ある時僕がステージに立って彼らを紹介することになってね。

―面白いですね。

「レディース・アンド・ジェントルメン、幻覚です!」そこにいた殆どの人は幻覚見てたから別にいいんだけどさ。

―ボーカリストとしてのキャリアはいつ始まったんですか?

教会さ。聖歌隊から始まったんだ。みんな知ってることかも知れないけど、50~60年代は聖歌隊のメンバーとして歌ってたんだよ。ニューヨークのヨンカーズではドゥーワップ・グループで歌ってた。プロとしてじゃないけどね。60年代ではボストンのとあるバンドでサックスを吹いていたけど、ボーカリストとして考えるなら、CANがプロとしての初めてのキャリアじゃないかな。

―ヒッチハイクで世界を旅される前は、彫刻もやられてたんですよね?

それも誰かが書いた嘘さ。当時僕はヴィジュアル・アーティストとして知られてて、ヨーロッパから帰ってきた時にちょっとやったりしてね。ウルリッヒ・リュックリーム3の作品にアシスタントとして参加したりもしたよ。

―あなたは1968年にケルンでイルミン・シュミットと出会い、まだバンドになる前のグループへの参加を持ちかけられます。あなたがマイクを持つことになり、他のメンバーから最初のリズムを引き出して、ようやくバンドらしくなったそうですが。

そういう事でもいいんだけど、イルミン(・シュミット)はプロのピアニストでカペルマイスター(楽隊の指揮者)だったから。ヤキ(・リーベツァイト)は素晴らしいドラマーで、ホルガ―(・シューカイ)は、その時思ってたよりもずっとエレクトロニックだしね。だから、あぁ、僕が彼らをあの狂気に誘ったってことだろうね。うん。

―あなたは階段を上り下りしながら「upstairs and downstairs♪(上の階、下の階…)」って1時間くらい歌ったんですよね。ホルガ―が言っていたと思いましたが。

それは初期の頃のパフォーマンスで、ケルンで10月にあったフェスティバルでやったんだけど、なんて名前だったかな?あぁ「美術市(Kunstmarkt)」だ!もうずっと昔のことだよ。

―ファンはその話が大好きですし、これで謎の真相がはっきりしましたよ。

はっきりしたのはボーカリストは狂ってて、韻もやってる理由も何にもなかったってことだけだね。

―そんなことないですよ!どうやって歌詞のインスピレーションを得ていたんですか?いくつかはその場で即興でやられてるようにも聞こえますけど。

多くはその場で即興でやったと言えるよ。

―例えば「Father Cannot Yell」なんかは…

真実と嘘と、どっちが聞きたい?

―じゃあ、最初に一つ言ってください。それからまた別のこと言って、どちらが本当か嘘かは言わずにいて下さい。私が判断しますから。

真実も嘘もどちらも同じさ。嘘も書かいてあるし、真実も書いてある。大学ではものを書いていたりしてたんだよ、大成しなかったけどね。詩を書いたりもして、そのなかのいくつかは自分の経験を基にしたし、いくつかは作り物だ。

―ビートニク的ともいえるんじゃないですか。

アレン・ギンズバーグ4はそうでもないんだよ。僕はそれよりE・E・カミングス5のファンだね。シェイクスピアとか、(ウィリアム・バトラー・)イェイツ6とか、(ジョン・)ダン7とか。両方のディランに影響も受けてるよ8。全員歴史的な作家だね。ところでCANとテンス・プラネットの作品の中で、聴いたことあるのはどれだい?

―私はもう長いことCANのファンです。バンドのことを知ったのは、レコードショップで『Ege Bamyasi』のジャケットを見て、ずっと気になってたんですよ。実際にCANの音楽を聴くのはそれから何年も後になるんですが。90年代の頭に初めて聴きました。

『Rite Time』は聴いたかい?

―今朝も聴きました。何度も言いますが、最高過ぎて床にぶっ倒れちゃいますよ。

進化の過程として捉えたいんだ。プログレッシブ・ロックでないにしたってずっと同じままでいるってことはないし、テンス・プラネットと一緒にやった『Hysterica』っていうアルバムは、僕の文学をよりうまく表現できていると思う。CANの作品はさっき言った通り、音を作ろうとするただの試みでしかないんだ。ヤキのリードに僕がついていったのか、彼が僕についてきてたのか、わからない。ただ僕らは繋がっているような感じで。彼はまるでエンジンみたいだった。

―多くの熱心なロックファン達が、ベスト・ロックドラマーとしてヤキ氏を選んでいます。

彼は本当に素晴らしかったよ。彼のことをあまり知らずに一緒に演奏したことはむしろ刺激的だったし、それが色々なことを引き起こしたからね。

―ではホルガ―・シューカイ氏があなたを1stアルバムにおける「着火剤」として選んでいる一方で、あなたにとってはドラマーのヤキ氏がそれにあたると。

彼らの言ってくれてることは好きだけど、実際はバンド自体で…その、功績を認められるのは嬉しいけれど、起こった出来事は5人のメンバーが引き起こしたことなんだ。別人だったらCANになり得なかったんだよ。バンドにリーダーがいたと思われるのは本当に好きじゃないね。CANの場合は5人でやり遂げたんだよ。僕がもっと若くてエゴが強かったなら、「イェイ!そうだ!俺のお陰さ!」って言ってたかもしれないけどね。今L.Aでやってる新しいバンドも同じだよ。バンドのリズムと楽器隊もすごくいいんだよ。

―『Monster Movie』は録音はあっという間でしたが、編集に長い時間を掛けられましたね。

その通りだ。でも編集についてはホルガ―に聞いた方がいいよ。その過程に僕は関わっていないからね。その他に僕が関わっていないことと言えば、僕のドイツ語が下手くそで、生活していけないんじゃないかっていう、他の4人のメンバー間での論争だね。とにかくね、アルバムのリリースに関して全然知らなかったんだよ。グリニッジ・ヴィレッジのレコード屋でアルバムを見て初めて知ったんだから。

―あなたがバンド名を考えたそうですね。

CANと名付けたのは「I CAN DO IT」だからさ!僕はケルンにいて、バンドは毎日プレイし始めた。僕はマイクの前に立つことができて、詞を書くことができて…それができる、からね。

―もっとアンディ・ウォーホル的な理由かと思ってましたよ…。

バンド名の由来は他にもあるよ。その後はコミュニズムとか、アナーキズムやニヒリズムとかって言われてた。

―「Mary, Mary, So Contrary」の女性っていうのは、実際にいる女性のことですか?

童謡が基になってるんだよ。

―なるほど。でもかなり具体的な形に手直しされてるように聞こえますが…。

そうとも言えるかもね。でも本が出版されるのを待たなきゃだめだよ!君が知ってるかわからないけど、L.A.にマイケル・シェパードってのが住んでてね、彼から僕の視点でCANについて書いてくれないかっていう依頼が来たんだよ。どんな風にすべてが進んでいったかっていうのをね。だから3、4年前に書き始めたんだ。君が知りたがってる多くの事は、今はあえて言わないでおいてるんだよ。マリーのことも含めて、いろんな話が本になるから。それを今言うんだったら、もう書かないよ!

―予告編としておいしい話をプレス向けに投げておくのも悪くないですよ。

OK。W.S.グラハムっていう詩人のことを聞いたことがあるかい?何年か前にマルコム・ムーニーという男について探していて、そして彼が「マルコム・ムーニーの国」っていう本を出版しているらしいことがわかった。確かFaber & Faberから刊行されてたかな。マルコム・ムーニーが誰か、何故そんなタイトルにしたのかを突き止めたいんだ。だからもしその本を見つけたなら、僕に連絡してくれ。

―その本はいつ出たんですか?

1970年だ。

―興味深い。

だから気になってるんだ。他の質問を頼むよ。

―あなたはドイツで、ドイツ人のバンドでフロントマンを務めたという、アメリカ人にとって非常に稀な経験をなさってます。多分デヴィッド・ハッセルホフ9も同じ経験をしたのかな、ちょっとよくわかりませんが。バンドとは何回くらいライブをしましたか?

ケルンとデュッセルドルフとミュンヘンでライブをしたね。僕がCANと一緒にやってたことは、彼らがレコードを出した後にしてたこととは違ってね。『プロメテウス解縛(Prometheus Unchained)』のパフォーマンス用の音楽を作ったりしたよ。1969年の夏で、たしか僕らはそこに二か月半くらい居た。評論家の一人は僕らのことを「電気椅子に座って楽器を演奏する筈が、木製の椅子に座っている。」って評してたね。

―厳しいですね。

その後のショーは満席だったんだよ!それが終わったら、次はフリーコンサートで演奏した。最終的にこれ以上僕の手には負えないと思って、アメリカに帰ることに決めたんだけど。

―それが私の次の質問です。なぜバンドを辞めようと思ったんですか?

そこはあんまり突っ込みたくない部分なんだよ。彼らは、僕がノイローゼになってアメリカに帰らなきゃいけなくなったって言ってたよね。だからレコード会社に聞いたんだ。「それでレコードが売れるのかい?」って。でもね、やっぱりその部分はこの論争から削除したいよ。それよりも、ドイツで好きだったタバスコが買えなくなったから、アメリカに帰ることにした、って言いたいね。

―よくわかりました。「ゆで卵の塩が欲しいがために、度を越してしまった」って感じですね。

他の理由としては、劇用の音楽をやっていた時なんだけど、ある日リハーサルに遅刻してしまってね。劇場の外にいたんだけど、その時彼らが僕抜きでもやれるっていう風に話していたのを聞いてしまってね。それが決定的だったかな。タバスコは忘れてくれ。(アメリカに戻った後で、)彼らはドイツ行きの航空券を送ってくれて、戻って来てほしいと頼まれたんだけど行けなくてね。

―もし衝動的に戻っていたとしたら、バンドの状況が好転していたこともあり得ますよね。

そうだと思うよ。結局それから数年後に再結成してレコードも作ったしね。

―あれは素晴らしい作品ですよ。

『夢の涯てまでも(Until the End of the World)』っていう映画の為に、「Last Night Sleep」って曲も録音したんだ。歌詞に出てくる長ネギはアリゾナに住んでいる友人からきていてね。歌詞は飛行機の中で書いたんだ。一時間半くらいで録音したよ。エンジニアがボタンを押して音を変えたのを見て、だったらなんで彼らはシンガーとミュージシャンが必要なんだろうって不思議に思ったね!

―新たな「タバスコ的直観」に加えて、彼らはあなたを必要としていない上に、ミュージシャンがいなくてもビジネスは成り立つと、思ったわけですね。

これ以上は言わないよ。誰かを傷つけてしまうかもしれないから。歌の上手いシンガーが好きだ。例えばコースターズ10。歌詞が好きだから、ボソボソ歌ってるのは好きじゃないね。スキャット・スタイルは素晴らしいし、それが冴える場面もある。ダモ(鈴木)も時々…おっと、これは言わない方がいいな。

―ここは話を反らさずに行きましょうよ。

その、彼はピュアな音だけで歌うんだよね。前言撤回したほうがいいな。ただ僕は歌詞が聞き取れて、理解できるものが好きってだけだよ。

―『Rite Time』で聞こえるジャッキー・ウィルソンとドリフターズのお化けエコーの裏付けをしていただいて、ありがとうございます。

あれは僕の声にあってるパートだと思うね。スモーキー・ロビンソンみたいなタイプもそうだし、ルー・リードも。実際ね、みんながCANの曲をカバーするのは構わないんだけど、だったらCANの名前を出してくれって、本当思うよ。レディオヘッドが「The Thief」をカバーした時も、ほとんどの人が彼らの曲だと思ったはずだよ。でも彼らはCANの名前を一言も言わなかった。その上歌詞も間違えてた。僕はそれをライブのブートレグで聴いて、CANのマネージャーに電話して伝えたんだ。それからは、彼らがCANの名前を出してくれたのを聞いたよ。

―バンドを離れた後はどうされたんですか?

マンハッタンのスクール・オブ・ビジュアルアーツに行ってから、ボストン大学で学士号を取ったよ。その時アート・ショーを二回やったね。それから臨時教師になって、ボストン学校評価プログラムの教育委員会で働いた。それでL.A.カリフォルニアのビジュアルアーツで修士号を取得してから、教会の聖歌隊でまた歌い始めたよ。

―(あなたが脱退した)その後のCANの作品は聴いていましたか?

うん、CANの作品は聴いてたし、イルミンのソロも。ヤキのは沢山聴いたよ。いつも忙しくしてるよ。君の自慢はなんだい?

―インターネットで私を調べてみてください。真実もいくつか載ってますからね。L.A.レコードのインタビューをするのが好きなんですよ。ミュージシャンの作品に数日間どっぷり浸かれますから。遅れてきたカルト・ロック・スターダムについて何か思われることはありますか?

僕がそうなのかい?

―そういう証言は沢山聞いてきましたよ。

あんまりよくわからないな。僕らの演奏を聴きに来てくれる人たちにはとても感謝しているよ。カルトについて考えるのはちょっと難しいけど、バンドとの演奏を聴きに来てくれるのは嬉しいよ。カルトについてはちょっとわからない。カルトっていうのは文化に付いてまわるものだからね。ペトリ皿の上で育つから。そこで何が起こっているか観察できるよ。


Radioheadによる「The Thief」のカバー、ライブブート音源はかなり出回ってますね。嫌いじゃありませんが、やっぱりオリジナルを聴きたくなります。

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脚注

  1. Kurt Vonnegut: 小説家。現代アメリカ文学界の巨匠。
  2. Jackie Wilson: 1984年に亡くなったソウル・R&Bシンガー。
  3. Ulrich Rückriem: ミニマリズム彫刻家を代表するドイツ人アーティストの一人。
  4. Allen Ginsberg: アメリカの詩人。ジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズと並ぶビートジェネレーションを代表する作家。
  5. Edward Estlin Cummings: アメリカの詩人。約書いた誌の数は2900篇にも及ぶ。
  6. William Butler Yeats: アイルランドの詩人。ノーベル文学賞を受賞している。
  7. John Donne: イングランドの詩人。
  8. ディラン・トーマスとボブ・ディランかと思われます。
  9. David Hasselhoff: アメリカの俳優、歌手。TVドラマ『ナイトライダー』に主演して人気を博す。1988年の12月31日の大晦日にドイツはベルリンの壁でシングル『Looking for Freedom』のリリースを発表。大観衆の前で行ったライブが伝説となる。
  10. Coasters: 50年代に活躍したR&B、ロックンロールグループ。「Searchin’」「Riot in Cell Block Number 9」などが有名。
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