フェラ・クティを語るポール・マッカートニー (2013)


フェラ・クティことフェラ・アニクラポ・クティは、「アフロ・ビート」を作り上げたナイジェリアを代表するミュージシャンです。50以上の作品を残し、「Music is the weapon」を掲げてナイジェリア政府と戦い続け、「ブラック・プレジデント」とも呼ばれていました。

ロンドンのトリニティ音楽大学(フェラバンドの重要なメンバーの一人である、ドラマーのトニー・アレンと出会った場所でもあります)卒業後、1963年にナイジェリアに戻り、現地のラジオプロデューサーを目指していました。67年にアフロビートのアイデアを思いつき、70年に「フェラ&アフリカ70」を結成。社会問題をテーマに曲を量産し続けました。また「カラクタ共和国」という名の居住区を作り、コミューン、レコーディングスタジオ、メンバーやその家族たちの住まいとして機能していました。

彼をリスペクトするミュージシャンは多数。2018年、コーチェラ・フェスティヴァルで伝説的なパフォーマンスを行ったビヨンセですが、演奏の中でフェラの代表曲「Zombi」のリフを取り上げていました。


そしてポール・マッカートニーもフェラをリスペクトするミュージシャンの一人です。2013年に行われたインタビューでは、フェラとの出会いを語っています。以下はその訳。動画はこちらから。

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OK、じゃあ僕の一番好きなフェラ・ランサム・クティの曲について話させてくれ。僕はその曲をアフリカで聴いたんだ。ちょうど『Band on the Run』をレコーディングしていた時だった。(ナイジェリアの)ラゴスにレコーディングをしに行ったんだよ。(1973年8月~10月)

そこに行ってまず何が起こったかというと、僕が黒人音楽を盗んだって非難されたんだよ。「あいつは音楽を盗みにやって来た!」ってさ。僕は「誰がそんなこと言ってるんだ?」って。新聞に載ってたんだけどね。もちろん、フェラだったよ。だから彼の番号に電話して呼び出したんだよ。「Hey man, come on!そんなことするためにここに来たんじゃないよ。ただアフリカンミュージックが大好きなだけで、その空気感を取り入れらたらとは思ってるけど、決して音楽まで盗もうだなんて考えちゃいないよ」って。それから彼がスタジオまでやって来たから、僕のレコーディングを全部聴かせたんだよ。そしたら「アフリカンミュージックっぽくないな」ってさ。それから僕らは良い友人になれたよ。彼はアフリカの「聖地」に招待してくれてね、ラゴス郊外にある彼のクラブなんだけど。最高に素晴らしい夜を過ごしたよ。なんというか、ワイルドな経験だったね。彼がそこで演奏した曲があるんだけど、その曲のレコードをまだ見つけ出せてないんだよ、いまだに。「シャカラ・ウーマン」っていう言葉はなんとなく覚えてるんだけど。「シャカラ」っていう曲は持ってるんだけど、その曲とはまた違うんだ。それはそれで素晴らしい曲だよ。でもあの曲は…今でもリフを弾けるんだ。君に弾いてあげるよ。下に行って弾くからさ。あれが僕の一番好きな曲だね。あの曲を聴いた時、あの夜の状況もあってさ、なんというか、アフリカのど真ん中に居るわけだよ。黒人達に囲まれて。僕らはそこで唯一の白人なわけさ。それはとにかく強烈だった。その曲が始まった途端、気が付いたら僕は泣いてた。人生の中でも最も凄い音楽体験の一つだね。だって、バンドがもう信じられないほど凄いんだよ。僕がリフを弾くから。これが僕の一番好きなフェラの曲だね。レコードがあるかどうかはわからないけど、きっと誰かが見つけるだろう。よし行こう。⇒

⇒イエイ、OK。これがそのクラブで聴いた曲の覚えてる部分だけど、リフは間違いなくこれだった。

♪♪♪♪♪

それでみんなが「シャカラ・ウーマン!」って歌うんだ。でも結局、なんて曲かはわからないけどね。これがそれさ。初めて聴いたとき、それは素晴らしかった。バンド全体がこのリフで入ってきてさ。今聴いても最高のリフだね。イェイ、サンキューフェラ!


最後にポールが弾いていたのは、71年の作品「Why Black Man Dey Suffer(何故黒人達は苦しむのか)」のリフです。サラっとやっていますが、40年前にたった一度だけ聴いた曲のリフを思い出して再現できることに驚愕します。

ちなみにこの曲は元クリームのジンジャー・ベイカーがゲストドラマーとして参加しています。ジンジャー・ベイカーとフェラは何作かで共演しています。

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