マーク・ボランを語るトニー・ヴィスコンティ (2015)


音楽プロデューサー・トニー・ヴィスコンティ。デヴィッド・ボウイやT. Rexのプロデュース作品が有名なのでてっきりイギリス人だと思っていましたが、実はアメリカ出身です。

1944年にニューヨークで生まれた彼は子供の頃から楽器に親しみ、ティーンの頃にはブラスバンドに参加(チューバ担当)したり、地元のバンドでギターを弾いたりしていたそうです。1960年からレコーディングセッションなどに参加しはじめ、1966年には当時の奥さんと「Tony and Siegrid」名義でシングルを二枚リリースします。ニューヨークでローカルヒットしましたが、長続きはしませんでした。

それから音楽出版社「リッチモンド・オーガナイゼーション」の専属プロデューサーとして働き始めます。仕事を通じて、プロコル・ハルムの「A Whiter Shade of Pale」(青い影)などを手掛けたイギリス人音楽プロデューサーのデニー・コーデルと出会い、彼の要請で1968年にロンドンに移住。ここから彼の本格的なキャリアが始まります。

1968年にはT・レックスの前身であるティラノザウルス・レックスのファーストアルバム『My People Were Fair and Had Sky in Their Hair… But Now They’re Content to Wear Stars on Their Brows (ティラノザウルス・レックス登場!!)』を手掛け、それから1974年のT. Rex『Zinc Alloy and the Hidden Riders of Tomorrow(ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー)』までマーク・ボランとの音楽制作は続くことに。

また、ボウイとは1969年にファーストアルバム『David Bowie』のプロデュースで出会い、遺作となった2016年の『Black Star』にいたるまで、定期的にアルバム制作に関与することになります。

以下は、2015年ティラノザウルス・レックス時代の初期の三枚がリイシューされた際、イギリスのGuardian誌に掲載されたトニー・ヴィスコンティのインタビューの訳です。原文はこちらから。

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マーク・ボランには素晴らしい素質を感じた。天才だと思ったよ。

ティラノザウルス・レックス初期の三枚が新しくリイシューされることと相成り、アルバムのプロデューサーであるトニー・ヴィスコンティがマーク・ボランとの関係性について語る。…更には金欠のせいでT・レックスになれなかったことも。

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―70年代にプロデュースされたグラム期のT・レックスの功績を踏まえると、ティラノザウルス・レックス名義の初期のアコースティックアルバムについてはどう回想されますか?

私にとっては、一枚目の『My People Were Fair and Had Sky in Their Hair… But Now They’re Content to Wear Stars on Their Brows (ティラノザウルス・レックス登場!!)』はいつ聴いても酷い出来だった。私たちは低予算の被害者で、自分たちが何をしているのかもさっぱり分からなかったんだ。音がとても薄くて、素晴らしい二人組の良さを十分に表現できていなかった。文字通りに二日でレコーディングしたんだよ、三日だったかな。四日目に全曲分ミックスしてね。だから今回リマスターの機会を与えられて、最後にやり残していた仕事をしなければならなかったんだ。大変だったけど、とても豊かな音になったと思う。

―当時はプロコル・ハルムなど、フルバンドやストリングスアレンジなどの仕事をたくさんされてましたよね。生のアコースティックなサウンドに対して、どんなアプローチでレコーディングに取り組んでいたのでしょうか?

チャレンジでもあったし、それにもう十分に音が豊かだったから、ストリングスを入れたりきらびやかな感じにはしたくなかった。とても貧乏な労働者階級の青年達の頭の中では、ベートーベンのシンフォニーが鳴っていたんだ。マーク・ボランにはストリングスや崇高な芸術性といったイメージは感じなかった。私が彼の中に見たのは素晴らしい素質。天才だと思ったよ。彼らはフォークデュオだったけど、でもマークにはロックスターになるポテンシャルを感じたんだ、彼と出会った直後からね。

―初期のアルバムはグラム期のT. Rexのアルバムに比べてまったく評価されていません。何故だと思いますか?

彼らには非常に限られたオーディエンスしかいなかったんだ、ほとんどがジョン・ピールのファンだったね。彼らは最もアンダーグラウンドなシーンを求めていて、それらをとても大事にしていたんだ。そういったファンが何人いたのかも知っているよ。2万人さ。アルバムはいつも2万枚売れていたからね。マークは自分がボブ・ディランかドノヴァンのつもりでいたんだよ。彼は自分をフォークロック詩人と見てほしかったんだけど、ライブでティーンエイジャーの女の子たちが彼に向かって黄色い声を上げ始めた途端に彼はポップスターになった。ジョン・ピールだとか、彼をキュートなヒッピーボーイだと思って敬愛していた人たちは、そこで彼から離れていったんだ。

―初期のアルバムは「ヒッピーレコード」だとか「トールキンレコード(指輪物語の原作者J.R.R. トールキン)」などと呼ばれるのをよく耳にしますが、「Hot Rod Mama」や「One Inch Rock」なんかを聴くと、これは完全にボラン、完全にT・レックスですよね。

その通り。ただ僕らはT・レックスになるためのお金がなかったんだよ。ティラノザウルス・レックスのアルバムの中で最高の出来だった三枚目の『Unicorn』は、まるで魔法のようにたくさんのテクスチュアが歌詞にも楽器にも織り込まれているんだ。私が初めてプレイヤーとして参加したアルバムでもあるんだよ。「Cat Black」でピアノを弾いてるんだけど、あれはT・レックスの一部でもあって、その後「Metal Guru」で取り組むことになるフィル・スペクターサウンド、ごちゃまぜサウンドだね。

 ―その後たくさんの人から、ボランは売れるためにヒッピー、神秘的な雰囲気を利用したと避難されましたよね…。

マークは全然ヒッピーじゃないよ。レコーディングした時もまだ両親と一緒に住んでいたしね。幻覚剤だって一度もやったことはなかったけど、間違いなくそれらしい恰好はしてた。彼はよく分かっていたから。彼はとてもセンシティブで、ポエティックだった。彼の曲はすべて、本当に、本当にまっすぐで誠実だよ。歌詞はただただ美しくて、トールキン的な部分も少しあるけど、たくさんのポップ・フィロソフィーが詰まってる。彼がそれらを利用してるなんてことはなかった。でもさ、ほら、彼は全然正直者じゃなかったし、マスコミをコントロールできると思ってたんだよ。そんな時に、彼の虚勢や自慢が人には鼻についたんだろうね。嘘ばかりついて一時全然信じられなかったから。

―Tレックスを語る時、スティーヴ(・ペレグリン)・トゥックの功績は見落とされがちですが、ティラノザウルス・レックス期のバンドの要は彼ですよね?

スティーヴはとてもクリエイティブな「もう一つの」声だったよ。素晴らしいバックアップシンガーで、彼のアイデアはとてもユニークだった。マーク以上に多くの楽器を使いこなせて、1弦フィドル、すべてのドラム、すべてのパーカッションにサイロフォンまで弾けたから、比重が50/50になるところまで行っていた。スティーヴはT. Rex期でもやれたと思うけど、なんというか、とても傷ついた人だった。まるで別の星からやってきたみたいで。彼はたまに路上で寝起きしていて、ドラッグもたくさんやっていたから、逮捕されてしまったんだ。あれがマークにとってのターニングポイントだった。スティーヴが2週間か1ヵ月か拘置所で過ごすことになって、それっきりだった。マークが『僕のオーディエンスはティーンエイジャーだから、ドラッグ中毒者をこれ以上バンドに入れておけないよ』と言ってね。スティーヴが「自分の曲もやりたい」と言い始めた時がマークにとって我慢の限界だったんだ。ドラッグの乱用と、スティーヴも半分の楽曲でイニシアティブを取りたいという希望に、マークはもう手に負えなかったんだ。ただ私は彼のことがとても好きだった。彼がホームレス生活をしている時は私の家で寝泊まりしたりしてね。実際彼とはとても親しい間柄だった。

―60年代後半、当時あなたの主なプロジェクトはデヴィッド・ボウイとマーク・ボランの2つでしたね。彼らとの仕事はまったく違うものだったでしょうか?

デヴィッドはもっと「いいヤツ」って感じだったね。彼は自分がムーヴメントの一部であると感じていて。彼はベッケンハムのスリー・タンズにアートラボを持っていて、キース・クリスマスやラルフ・マクテルといった仲間たちが活動出来る場をそこに設けていたんだ。マークは誰もがライバルだと思っていて、デヴィッドに対しても同じように思っていた。一方でデヴィッドはみんなのために、って思ってたから。彼らは私の家でよく一緒になってね、ニュートラルな場所だったから、私たちはみんな仲良くやっていたよ。確か1本の安いワインを10人くらいでまわして飲んで、あとはお茶を何杯も飲んだよ。一緒にジャムセッションをして、レコードを聴いて。最高の時間だった。彼らは私より若くて、まだ母親と一緒に住んでいたね。さしずめ私はアールズ・コートに住む年上アメリカ人のいとこってところかな。


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